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水蛭子

読み
ひるこ
ローマ字表記
Hiruko
別名
蛭子
登場箇所
上・神の結婚
上・国生み神生み
他の文献の登場箇所
紀 蛭児(四段一書一・十、五段本書・一書二)
旧 水蛭子(陰陽本紀)/蛭児(陰陽本紀)
梗概
 伊耶那岐・伊耶那美の二神が初めに生んだ子。淤能碁呂島で天之御柱を廻る際、女神の伊耶那美が男神の伊耶那岐よりも先に声をかけて交わったことで、水蛭子が生まれ、葦船に入れて流し去られた。次に生まれた淡島と共に、二神の子のうちには数えられないと本文中に記されている。
諸説
 『日本書紀』では「蛭児」と書かれ、第四段(一書一、十)の国生み神話と、第五段(本書、一書二)の神生み神話にわたって見えているが、第四段と第五段とで誕生の経緯が異なっている。第四段は、『古事記』と同様、島々とともにヒルコを生んでいるが、一書一では『古事記』と同じく初生児であるのに対して、一書十では淡路洲の次にヒルコが生まれている。一方、第五段の二つの所伝(本書、一書二)では、いわゆる三貴子に並ぶ一柱に位置づけられ、日の神・月の神の次、素戔嗚尊の前に第三子として誕生しているが、三歳になっても脚が立たないために船に乗せて流し去ったとしている。両段で、産み損じの子という性格は一致するが、島々と同列か、三貴子と同列かという位置づけの違いが見て取れる。
 神名の意味は、以下に挙げるように、漢字表記を字義通りに解して蛭のような子とする説と、当て字とみてヒルメ(日女)に対する「日子」の意とする説とが対立している。
 「蛭」「水蛭」はヒルと読み、血を吸う環形動物を指す。これを字義通りに解する説では、『日本書紀』の第五段一書一と一書二に、三歳になっても脚が立たなかった、とあることなどから、肢体の不自由な子、もしくは蛭のように骨のない体の子という意味に解される。歩行不能を言う古代語ヒルムと関係があるともされ、沖縄で、足腰の立たないことをビルなどと言うこととも関連づけて考えられている。ヒルコの放流を、古代における障害児の放棄の習俗の反映と捉える説もある。ただし、脚が立たないという記述は『日本書紀』の第五段の所伝に限られるため、『古事記』のヒルコにこの解釈を敷衍することに対しては疑問も投げかけられている。
 「蛭」を当て字と捉える見方からは、ヒルコの名を、天照大御神の『日本書紀』に見える神名、大日孁貴(おほひるめむち)のヒルメに対応する「日子」すなわち太陽の子の意と捉え、その神格の原型を太陽の男神とする説が唱えられている。『日本書紀』の第五段で日の神・月の神・素戔嗚尊と並列されていることもその傍証に挙げられ、元来は尊貴な太陽神であったとも考えられている。また、同段でヒルコが乗せられた天磐櫲樟船(本書)・鳥磐櫲樟船(一書二)を世界各地に見られる太陽船の信仰と結びつけて考え、ヒルコの原型を太陽船に乗って来訪する太陽神と見る説もある。この「日子」説に対しては、『日本書紀』が「蛭児」という表記をとり、ヒルメの「日孁」と対応していないことや、脚が立たなかったという蛭を想起させる表現が見られることが、問題点として指摘されている。そこで、記紀編纂時代までに、太陽神的性格が大日孁貴(天照大御神)に吸収されて、ヒルコの神格が、本来の日子の意から水蛭子・蛭児の意へと変容していったとする見方もある。
 記紀のヒルコの神話について、外国の神話との比較も論じられている。伊耶那岐神・伊耶那美神の婚姻や国生みの神話は、主に東南アジアや中国南部を中心に分布する、兄妹始祖型洪水神話という類型に属することが指摘され、その系統的関係が論じられている。それらの神話の内には、人間の始祖となる男女の間に生まれた初生児が身体に障害を負った子であったり肉塊や貝などの異物であったりする例が各所に見られることから、記紀のヒルコの神話をそれと同類型として捉える説もある。ただし、『日本書紀』ではヒルコを流すという内容がない所伝や、初生児としない所伝もあることが重要な相違点として指摘されており、また、一般的な兄妹始祖型洪水神話では、生まれた子から人類が発生する内容を持つが、記紀では流し去った後の話がないといった点で、上記の神話の類型を踏んでいないとする批判もある。
 『古事記』でヒルコを乗せて流した葦船の意義については、アシ(悪)という語感に基づきヒルコへの嫌悪感が表現されているとする説や、葦を邪気を祓う生命力の象徴の植物と解して、邪気たるヒルコを祓うための船と捉える説、また、葉で作った船に害虫を乗せて海に流す虫送りの風習との関係を説いた説など、祓いや追放の乗り物と捉える見解があり、ヒルコを、祓われ追放される須佐之男命と類似する神と捉える見方もされている。反対に、葦の生命力によってヒルコを守護するための船と捉える説もある。また、『日本書紀』第五段では、ヒルコを乗せて放った船が、天磐櫲樟船(本書)もしくは鳥磐櫲樟船(一書二)とされているが、上代の神話では石船や鳥船と呼ばれる船が、しばしば天上の神の乗り物として登場することから、これらは神聖な乗り物と考えられる。そこで、これらを太陽信仰との関連で捉え、太陽神のヒルコが海を往来するための太陽船と解する見解もある。
 記紀以降は、平安時代に『日本書紀』を題として歌を詠んだ日本紀竟宴和歌において、大江朝綱の歌に「父母(かぞいろは)あはれと見ずや蛭の子は三歳(みとせ)になりぬ脚立たずして」と、あわれな神として詠まれ、後世のヒルコ理解にも影響を及ぼしている。中世以降は、蛭児大神を祭る西宮神社(兵庫県西宮市)を始めとして、福の神エビス神としても各地で広く信仰されるようになり、今日に至っている。
参考文献
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松本信広「蛭児と日女」(『日本神話の研究』平凡社、1971年2月、初出1931年11月)
松村武雄『日本神話の研究 第二巻』(培風館、1955年1月)第三章
守屋俊彦「岐美二神の神婚神話について」(『岡山大学法文学部学術紀要』7、1956年12月)
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松前健「太陽の舟と常世信仰」(『松前健著作集』第12巻、おうふう、1998年9月、初出1961年2月)
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泉谷康夫「記紀神話形成の一考察」(『記紀神話伝承の研究』吉川弘文館、2003年8月、初出1964年9月)
山川振作「記紀「国生み」神話の考察―特に古事記の水蛭子・淡島について―」(『比較文化研究』5号、東京大学教養学部人文科学科、1965年3月)
山川振作「古事記「国生み」神話補考」(『比較文化研究』6号、東京大学教養学部人文科学科、1966年3月)
福島秋穗「ヒルコ神話をめぐって」(『記紀神話伝説の研究』六興出版、1988年6月、初出1967年10月)
伊藤清司「日本神話と中国―人祖異常児出生伝承―」(『日本神話と中国神話』学生社、1979年9月、初出1970年12月)
長野正「「蛭児」考」(『日本古代王権と神話伝承の研究』クオリ、1985年9月、初出1973年3月)
吉田修作「ヒルコ伝承論」(『文芸伝承論―伝承の〈をとこ〉と〈をとめ〉―』おうふう、1998年10月、初出1980年2月)
大岡小霧「ヒルコの誕生と放流をめぐる一考察」(『語文論叢』14号、1986年9月)
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青木周平「伊耶那岐命と伊耶那美命」(『青木周平著作集 上巻 古事記の文学研究』おうふう、2015年3月、初出1992年12月)
福島秋穗「ヒルコの誕生について」(『紀記の神話伝説研究』同成社、2002年10月、初出1998年1月)
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金井清一「水蛭子と葦船」(『古典と現代』66号、1998年10月)
大内建彦「二つの「ヒルコ」神話序説」(『古代文学の思想と表現』新典社、2000年1月)
大内建彦「二つの「ヒルコ」神話本説」(『国文学研究』130号、2000年3月)
大内建彦「二つの「ヒルコ」神話拾遺」(『城西大学女子短期大学部紀要』17巻1号、2000年3月)
稲生知子「「哀れ」なるヒルコへ 神話生成の現場としての日本紀竟宴」(『日本文学』49巻6号、2000年6月)
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石垣亜矢子「ヒルコ神話の研究」(『學習院大學 國語國文學會誌』44号、2001年3月)
越野真理子「太陽神アマテラスの誕生―ツクヨミ・スサノヲ・ヒルコとの兄弟関係―」(『太陽神の研究 上巻』リトン、2002年6月)
唐更強「『古事記』の「ヒルコ神話」について」(『国語と教育』35号、2010年12月)
戸矢学『ヒルコ 棄てられた謎の神(決定版)』(河出書房、2019年5月、初出2010年9月)
『古典基礎語辞典』(大野晋編、角川学芸出版、2011年10月)
久保田裕道「ヒルコ 異形の神は、なぜ福の神へと変貌したのか」(『古事記 日本書紀に出てくる謎の神々』新人物往来社、2012年7月、初出2011年11月)
中村尚徳「『古事記』におけるヒルコ―葦船を中心に」(『國學院大學大学院文学研究科論集』44、2017年3月)

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