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大穴牟遅神

読み
おほあなむぢのかみ/おおあなむじのかみ
ローマ字表記
Ōanamujinokami
別名
大穴牟遅
大国主神
葦原色許男神
葦原色許男大神
八千矛神
宇都志国玉神
出雲大神
登場箇所
上・須賀の宮
上・稲羽の素兎
上・根の堅州国訪問
他の文献の登場箇所
紀 大己貴神(八段本書・一書六、九段本書・一書一・二)/大己貴命(八段一書二)/国作大己貴命(八段一書六)/大己貴大神(神武紀三十一年四月)
播磨風 大汝命(餝磨郡、揖保郡、神前郡、賀毛郡)/大汝神(餝磨郡)/大汝少日子根命(餝磨郡)
出雲風 大穴持命(意宇郡、神門郡、飯石郡、仁多郡、大原郡)/所造天下大神命(意宇郡、嶋根郡、楯縫郡、出雲郡、神門郡、大原郡)/所造天下大神(楯縫郡、出雲郡、神門郡、飯石郡、仁多郡、大原郡)
伊予風 大穴持命(逸文)
土左風 大穴六道尊(逸文)
伊豆風 大己貴尊(逸文▲)
丹後風 大穴持神(逸文▲)
万 大汝(3・335、6・963)/大穴道(7・1247)/於保奈牟知(18・4106)
拾 大己貴神(素神の霊剣献上、大己貴神、吾勝尊)
旧 大己貴神(天神本紀、地祇本紀)/大穴遅神(地祇本紀)/大穴牟遅命(地祇本紀)
祝 国作坐<志>大穴持命(出雲国造神賀詞)/国作<之>大神(出雲国造神賀詞)/大穴持命(出雲国造神賀詞)
姓 大己貴命(摂津国神別)/大奈牟智神(和泉国神別)/大穴牟遅命(未定雑姓・左京)
神名式 大穴持神社(大和国葛上郡、出雲国出雲郡、大隅国曽於郡)/大名持神社(大和国吉野郡)/大穴持神像石神社(能登国羽咋郡)/布自奈大穴持神社(出雲国意宇郡)/同社坐大穴持神社(出雲国意宇郡)/同社大穴持神社(出雲国神門郡)/伊和坐大名持御魂神社(播磨国宍粟郡)
梗概
 大国主神の別名。兄弟である八十神が稲羽の八上比売に求婚するために因幡に赴いた際、大穴牟遅神は八十神の従者として同行した。その道中、気多の岬で体中に傷を負った裸の兎に出会い、その姿の事情を聞き、河口の水で体を洗って蒲黄(かまのはな。現在のガマ)を敷き、その上で転がれば肌が元通りになる、と兎に教えた。そして、大穴牟遅神は兎から八上比売を得ることを告げられ、その言葉通りになったため、八十神の怒りを買ってしまい、二度も殺される。御祖命や神産巣日神に助けられて大穴牟遅神は二度復活したが、また殺されるのを危惧して木国の大屋毘古神に赴いた。しかし、八十神が追いかけてきたため、大屋毘古神の言葉に従い須佐之男命の治める根之堅州国に赴くことになる。根之堅州国を訪問した大穴牟遅神は、須勢理毘売の助けにより須佐之男命の試練を乗り越え、須佐之男命から大国主神・宇都志国玉神となるように指令を受けて葦原中国の国作りを始めた。
諸説
 「大穴牟遅」は「オホナムヂ」または「オホアナムヂ」と訓まれる。「大」は美称、「牟遅」は「貴」で、尊貴の意あるいは尊称と捉えられるが、問題となるのは「穴」の解釈である。「ナ」と訓む場合は、地(地主(ナヌシ)などのナ)の意を表し、偉大な土地の主神と解釈するのが有力な説であったが、土地を単独で「ナ」とよむ例がなく批判もされている。「アナ」と訓む場合は、「穴」は「鉄穴」で砂鉄を採る鉱山の穴の意と捉える説、地霊神とみて洞窟に住む神とする説、火山の噴火口を神格化したとみる説などがある。また、「アナ」を驚嘆の意とし、「ああ偉大なる神よ」という神名と捉える説もあり、開墾や国土造成をなす地祇として出雲国に限らずどの土地にもいる偉大な神を表す名だと説かれる。
 『日本書紀』では一貫して大己貴神(命・大神)の名で活動しているのに対し、『古事記』では稲羽の素兎や大国主神の国作りなどの神話の展開に伴って、大穴牟遅神・葦原色許男神・宇都志国玉神・八千矛神・大国主神と呼称が変遷しており、大穴牟遅神の神話(稲羽の素兎・根の堅州国訪問)は、王者となるための成長物語とみる説がある。このうち、稲羽の素兎譚については、八上比売を土地(因幡国の八上)の名を負う女神(女首長)や、玉作りに関わる女神に捉え、八上比売と婚姻が、それら国や玉を得ることを意味するとも論じられている。この婚姻については「八上比売」の項も参照。なお、稲羽の素兎譚は、海外に類似する説話が多いことが指摘されており、本来は大穴牟遅神と無緑の動物説話であったとも見られている。
 この神話中の大穴牟遅神は、袋を背負って八十神について行き、出会った兎に正しい治療法を教えている。袋を背負う姿については、雄略紀に根使主の子孫が天皇に罰せられ、群臣の列から外されて袋担ぎの人=賎民にされた例から、賎しい身分を表すと指摘される。律令時代の賎民は氏姓による秩序から外れた存在であることから、大穴牟遅神が八十神の秩序から逸脱する存在であることを示すという説もある。また、大穴牟遅神が兎に正しい治療法を教えていることについては、それが地方首長の資格の一つであったことに関連すると見られている。この他、稲羽の素兎との関係については「菟神」の項も参照。
 根の堅州国訪問譚では、八十神に殺された大穴牟遅神は、御祖命が神産巣日神に懇願し、キサ貝比売と蛤貝比売が派遣されて復活した。このとき、大穴牟遅神は「麗しき壮夫」となるが、この死と再生は成年式との関連が説かれており、大国主神に成長するための試練の一つとして捉えられている。また、稲羽の素兎譚では負の性質(袋担ぎの人)をもつ存在だったが、この復活により「麗し」という属性を付与されたとして、高天原との関連(高天原性の付与)をみる説もある。この他には、根の堅州国と黄泉国を別の国と捉え、根の堅州国は大穴牟遅神が大国主神となりうる力を保証する世界だという説がある。一方、二国を同一の国(死の国)と捉え、そこへの訪問譚は三度目の死と復活と見る説があり、この死と復活のイニシエーションにより大穴牟遅神(大国主神)は葦原中国統治の保証を得るとも論じられている。なお、この訪問譚の形成の観点からは、各試練の内容(①蛇の室で一晩過ごす、②百足と蜂の室で一晩過ごす、③須佐之男命が放った矢を燃える野から取ってくる、④須佐之男命の頭の百足を取る)の違い、特に③の試練が他と次元を異にする内容となっていることや、大穴牟遅神の援助者が異なることから、元来は別個に存在していた話を集め繋いだと解する見方もある。
 上代文献において、オホナムヂ(オホアナムヂ)はスクナビコナと共に登場する記事が散見される。特に国土を作る神話が多く、『古事記』でも大国主神と名が変わった後で「大穴牟遅と少名毘古那と二柱の神相並びて此の国を作り堅めき」と記されており、この箇所のみ大穴牟遅神の名となっている。『古事記』には国作りの内容については記述がないが、『日本書紀』八段一書六には、二神は人民と家畜のための病気の治療法、鳥獣・昆虫の災害を払い除く呪法などを定めたと記されている。このように、記紀ではスクナビコナと共に国作りを行うが、いずれも大国主神の名ではなくオホアナムヂ(大穴牟遅神・大己貴神)が記されている。これは、スクナビコナとの関係によるものであり、『古事記』の場合、元来あったオホアナムヂとスクナビコナの神話を大国主神の名の下に習合したために上記の箇所のみ神名が異なると考えられている。また、『先代旧事本紀』地祇本紀には、大己貴命は初め少彦名命と共に葦原中国の水母(くらげ)のように漂うところに居た。時にしっかりと固め成し、名づけることを既に終えた、というように、葦原中国が水母(くらげ)のように浮漂した状態から国作りを行ったと説く独自の伝承も記している。
 『古事記』ではスクナビコナとの国作りの後、国作りの一環として大物主神の祭祀が記されているが、大物主神との関係については記紀において差がある。『古事記』では二神を別神としているが、『日本書紀』八段一書六ではオホナムチの幸魂・奇魂で同一の神とされている。同一化されたことの背景には、宮廷の威力が全国を蔽うようになったことが想定されている。「大物主神」の項も参照。
 また、『万葉集』ではオホナムヂ・スクナビコナの神名を並べて詠んだ歌が4首あり、うち3首は事物の起源に関する。『出雲国風土記』をはじめとした「風土記」では、二神が山を作った記事が見られることから、ダイダラボッチ的な姿を彷彿とさせ、二神は元来、民間に広く信仰されていた神と捉えられる。そのため、出雲固有の神ではなかったとも指摘される。その神名は「オホ(大)」と「スクナ(少)」と対をなしており、巨人と小人のコンビの神と見られている。こうした他文献に見えるオホナムヂも含め、この神は農耕と関わりが強く、また農耕神であるスクナビコナとも関連が深いことから、オホナムヂを農耕神と捉える向きもある。この他、『伊予国風土記』逸文などに大穴持神が病気治療に効果のある温泉と関わる記事があるため、それに関連する神格を有する神であった可能性も論じられている。
 また、『出雲国造神賀詞』では、大穴持命は天降ってきた天夷鳥命と布都怒志命に和め鎮められ、自身の和魂を倭大物主櫛■(瓦+镸)玉命と名づけて三輪山に鎮座させ、自身は杵築宮に鎮座した。ここでは、大穴持命の心を和らげて、平和裏に国譲りが行われたと解釈されている。
 このほか、海外の神話に登場する神・人物との比較もされている。嫉妬した神に猪(あるいはそれに見立てた大岩)により殺される、封じこめられた木からの誕生・復活するなどの点から、大穴牟遅神(大国主神)とギリシア神話に登場するアドニスとの類似をみる説、国土開墾や農耕神的要素、国譲りを行うなどの点から、大国主神(大穴牟遅神)とフィンランドの『カレヴァラ(カレワラ)』に登場するヴァイナモイネン(ワイナミョイネン)との類似性を指摘する説、豊穣神的な性格、神婚譚を有することや王権とのつながりなどの点から、大国主神を北欧神話のフレイと比較する説などがある。
 ほか、「大国主神」の項も参照。
参考文献
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