國學院大学 「古典文化学」事業
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八十禍津日神
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八十禍津日神
読み
やそまがつひのかみ
ローマ字表記
Yasomagatsuhinokami
別名
-
登場箇所
上・みそぎ
他の文献の登場箇所
紀 八十枉津日神(五段一書六)
旧 八十禍津日神(陰陽本紀)
梗概
伊耶那岐神の禊において、中の瀬ですすいだ時に成った二神(八十禍津日神・大禍津日神)の第一。この二神は、穢れの多い国(黄泉国)に行った時の穢れによって成った神であると記されている。
諸説
神名は、同時に生まれた大禍津日神と対応するが、両者の神格の違いは明らかでない。『日本書紀』五段一書六では、「八十枉津日神」一柱のみ化成し、大禍津日神の名は見えない。
その名義は、「八十」は数の多さを表す語で、「大禍津日神」の「大」と同様、美称とされる。「禍(まが)」は「曲」に通じ、「直(なほ)」に対する語で、よくないことを表わす。「津」は「の」にあたる連体助詞、「日」は霊格を示す語とされる。
マガツヒという神名は、神直毘神・大直毘神のナホビと対をなしており、凶事や悪事に関係する神と考えられるが、禍津日神がどのような神格であるかは、古代の道徳観念や神道神学にからめて論じられ、議論が紛糾している。その見解を大きく分けると、①禍いをもたらす悪神的な性格を強調する立場、②悪いことに対して過ちを正させる善神的な性格を強調する立場がある。①は、『古事記』の本文に直毘神の化成が「其の禍を直さむと為て成れる神」と記されているように、禍津日神が禍いを起こし、直毘神がそれを正すものと捉えるのであり、極端な説では、禍津日神を世の中のあらゆる禍いを起こす根源の神とまで解するものもある。②は、①に異を唱える立場であり、直毘神と禍津日神とを表裏一体の神格と捉え、直毘神は善事を奨揚し、禍津日神は悪事を咎める働きをすると解する。これには、人の過ちに対して罰をもたらし正させる神とする説や、人間を裁く裁判の神と解し、禍津日神は警察官や検事に、直毘神は判事や弁護士に当たる働きをすると捉える説などがある。なお、②の立場では、悪神説に反論する上で善神的な働きが強調されているものの、神格そのものは善悪に関しないとする見方もある。また、歴史的な神格の変遷も考察されており、禍いをもたらす神から罪悪を正す神へと変化したとみる説や、逆に、罰を下す神から禍いをもたらす神へと変化したとみる説もある。
以上の議論は、神道や古代思想に関する重要な争点を含んでいるが、善神・悪神とは何か、すなわち、古代の道徳観念において何が善で何が悪とされたか、あるいは善悪という二元的な価値観で割り切れるのか、という神学的な問題や、文献による各説の検証がどこまで可能かという文献学的な問題が残されている。
また、禊によって生まれた神であり、穢れによって成ったとも記されているから、禊や穢れとも関係すると考えられる。①の立場では、世の中の禍いが穢れに起因するものと考えられていたことを示すものと捉える説もあり、②の立場では、禍津日神・直毘神を裁判の神とし、その裁判・刑罰を行う行事が禊や祓えであると解する説がある。中世以降の文献では、鎌倉時代成立とされる『倭姫命世記』に、荒祭宮に祭られる天照大御神の荒魂を八十禍津日神として、祓えの神である瀬織津姫と同一視した記述が見られ、宝暦四年(1754)成立の『伯家部類』では、伯家(白川家)で禍津日神を祓えの神として祭ったことがうかがわれる。
言霊信仰との関係も注目される。御門祭の祝詞に「四方の内外の御門に、ゆつ磐村の如く塞がり坐して、四方四角より疎び荒び来らむ天の麻我都比(まがつひ)と云ふ神の言はむ悪事(まがこと)に相ひまじこり、相ひ口会へ賜ふ事无く」とあり、マガツヒの神が言う悪いことに共鳴したり口裏を合せたりすることのないように祈られている。また、允恭記に「天皇、天の下の氏々名々の人等の氏姓の忤ひ過れるを愁へて、味白檮の言八十禍津日前にして、くか瓮を居ゑて、天の下の八十友緒の氏姓を定め賜ひき」と、言八十禍津日前(紀は「辞禍戸岬」)という地名の岬において、氏姓の乱れを正すためにクカタチ(盟神探湯)が行われている。八十禍津日神の神名と類似する地名であることから、間接的にではあるが、禍津日神が裁判や言葉の真偽を判定するクカタチに関係するという推測もされている。
このように、禍津日神の性格は、古典の記述から様々に捉えることができるが、それらを統一的に理解することは難しく、神格の歴史的な変遷も考慮に入れる必要があろう。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
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神野志隆光・山口佳紀「『古事記』注解の試み(七)―伊耶那岐命の禊祓―」(『論集上代文学 第二十一冊』笠間書院、1996年2月)
折口信夫「道徳の発生」(『折口信夫全集17』中央公論社、1996年8月、初出1949年4月)
松村武雄『日本神話の研究 第二巻』(培風館、1955年1月)第七章
西田長男「神の堕獄の物語」(『古代文学の周辺』南雲堂桜楓社、1964年12月)
沼部春友「禍津日神善神論」(『神道儀礼の原点』錦正社、2000年2月、初出1966年5月)
沼部春友「禍津日神は悪神に非ず」(『國學院大學日本文化研究所報』18、1966年12月)
上田賢治「「禍津日」善神論への疑義」(『國學院大學日本文化研究所報』18、1966年12月)
中村啓信「禍津日神善神論存疑」(『國學院大學日本文化研究所報』19、1967年2月)
森磐根「文化創造にしめる悪神の意欲性について」(『國學院大學日本文化研究所報』19、1967年2月)
岡野弘彦「禍津日神の性格について」(『國學院大學日本文化研究所報』20、1967年4月)
沼部春友「「禍津日神善神論存疑」を読んで」(『國學院大學日本文化研究所報』20、1967年4月)
浦野智雍「禍津日神についての一試論」(『國學院大學日本文化研究所報』20、1967年4月)
中村啓信「禍津日神論のために」(『國學院大學日本文化研究所報』21、1967年6月)
白井永二「禍津日論議のゆくえ」(『國學院大學日本文化研究所報』22、1967年8月)
菟田俊彥「禍津日論改見」(『國學院大學日本文化研究所報』23、1967年10月)
沼部春友「「因汚垢」の文法と解釈」(『國學院大學日本文化研究所報』23、1967年10月)
西田長男「裁判の神としての直毘・禍津日の二神」(『國學院法學』5巻2号、1967年10月)
中村啓信「「『因汚垢』の文法と解釈」批判」(『國學院大學日本文化研究所報』24、1967年12月)
梅田義彦「禍津日神私観」(『國學院大學日本文化研究所報』25、1968年2月)
大森志郎「マガツヒの神の生長」(『國學院大學日本文化研究所報』26、1968年4月)
上田賢治「禍津日神考―本居宣長の神学―」(『神道神学論考』大明堂、1991年3月、初出1986年3・4月)
稲田智宏「折口信夫の禍津日神論―その位置づけと論争の問題点」(『神道宗教』242号、2016年4月)
稲田智宏「盟神探湯と禍津日神―神格の変容について―」(『神道宗教』256・257号、2020年1月)
八島牟遅能神
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