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八千矛神

読み
やちほこのかみ
ローマ字表記
Yachihokonokami
別名
夜知富許能迦微能美許登
夜知富許能迦微能美許等
大国主神
大穴牟遅神
葦原色許男神
葦原色許男大神
宇都志国玉神
出雲大神
登場箇所
上・須賀の宮
上・八千矛の神
他の文献の登場箇所
紀 八千戈神(八段一書六)
万 八千戈神(10・2002)
梗概
 大国主神の別名。八千矛神は高志国の沼河比売のもとに赴き結婚したことにより、正妻である須世理毘売に激しく嫉妬される。その後、八千矛神は須世理毘売の嫉妬を宥めて鎮座する。この神話は歌の贈りあいで展開する歌物語になっており、最後に「此は神語と謂ふ」と記される。
諸説
 八千矛神の「八千」は多数の意で揺れはないが、「矛」については大きく3つの説に分かれる。「矛」を武器と捉えて武神と解する説、「矛」を神霊の宿るものと捉え、八千矛神は『日本書紀』本書に記される大己貴神の「広矛」(国平けし時に杖けりし広矛)と重なると解する説、「矛」の形状および神婚譚という神話の内容から男根の連想と捉える説がある。一般的には武神と解する説が多いが、神話ではそのような要素はみられないため、話の内容とあわせて考える必要があるだろう。
 八千矛神の神話の解釈についても諸説ある。成立的な観点からは、本来は大国主神の神話とは全く別の独立した神話の主人公であったが、地方神話を大国主神の神話に集約した際にこの位置に配列されたという説がある。神話の中で詠まれる歌の詞章をみると、俳優(わざをき)の所作を想起させることから、元来は楽府の謡物であったものがこの神話に取り入れられたともみられている。また、歌については、もとは海人族の伝誦歌であったと捉える説もある。
 この神話は、沼河比売への求婚と須勢理毘売との和解という内容であるため、恋物語として捉えられる。沼河比売への贈答歌で八千矛神が「八千矛の 神の命は」(記・2)と歌い出し、物語の主人公を冒頭で公言することで、この求婚が神聖性をもつことの保証となるという説がある。
 また、八千矛神の神話を国作りの一環として捉える説もある。これは、土地の女性との結婚がその土地の支配を意味することを根底とする。神婚による支配範囲については、神話の前半の二番歌にある「遠々し高志」の詞章から辺境の地まで支配が及んだとし、八千矛神が沼河比売と婚姻することは八島国を全円的に支配したことを意味すると指摘される。また、神話の後半において、八千矛神は須勢理毘売の嫉妬を受けて倭へ上ろうとする。これについて、女神の嫉妬に辟易したという説、恐れをなして逃げたという解釈があるが、一方で目的をもって上ったとみる説もある。後者は、八千矛神が歌う『古事記』四番歌で三度も着替えると歌い、倭国に逃げる様子には見えないことから、八千矛神は神婚による国土の支配を目的に倭国に上るという。ただし、八千矛神は須勢理毘売と和解して倭国に上らなかったためにその国を支配できず、ここでは葦原中国の支配を完遂できなかったともいわれている。さらに、八千矛神の神婚は、葦原中国全体の国魂を掌握し統括する宇都志国玉神としての側面を充足させ、大国主神として完成するための神話とみる説もある。
 神話中では、須勢理毘売に「適后」という皇后に相当する呼び方がされていることから、これに対する八千矛神は天皇と匹敵する位置付けの神とみなされている。その倭の支配者像は、『古事記』中巻の天皇たちに見出される日の御子像の起源の一つのあり方という見解もある。八千矛神の神話は、大国主神の神話全体を意識して考察する必要があるだろう。
 この神話の最後に、二神(八千矛神・須勢理毘売)が「鎮坐」すると記されることに関しては、通説では出雲国に永久に留まったと解釈される。その他には、現実に二神が互いの首筋に手をかけている神像があったと仮定し、それが反映されているとする説、直後の大国主神の系譜との関係を視野に入れて、須勢理毘売の嫉妬を鎮めたことを示すとみる説、須勢理毘売の嫉妬が神名と関連することから、須勢理毘売の勢いの激しい神格が落ち着き、同時に八千矛神が担う神婚による国土支配が終了したことを表すという説などもある。
 他文献との関わりから八千矛神について論じる説もある。『出雲国風土記』に見られる大穴持神と奴奈宜波比売命との婚姻伝承から、大穴持神の大和における別名とする説がある。一方で、八千矛神の名は『出雲国風土記』にはみえないことから、出雲地方の神とは考えがたいとする説もある。八千矛神は、『延喜式』神名帳の阿波国名方郡にある「八桙神社」の観念を基礎とし、瀬戸内海東部の海人族に信仰され、大倭直に祭られたとみる説もある。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第三巻 上巻篇(中)』(三省堂、1976年6月)
西郷信綱『古事記注釈 第二巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年6月、初出1975年1月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
『古事記(日本思想大系)』(青木和夫・石母田正・小林芳規・佐伯有清校注、岩波書店、1982年2月)
神野志隆光・山口佳紀『古事記注解4』(笠間書院、1997年6月)
土橋寛『古代歌謡全注釈 古事記編』(角川書店、1972年1月)
次田真幸「八千矛神の神語歌の形成と大倭直」(『日本神話の構成』明治書院、1973年8月)
寺川眞知夫「大国主神の国作りの性格と大国主神の形成」(『古事記神話の研究』塙書房、2009年3月、初出1993年6月)
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斉藤崇「八千矛神―大国主像の完成―」(『古代研究』26号、1994年1月)
岸正尚「八千矛の神の命―歌謡として存在する意味―」(『古事記の神々 上 古事記研究大系5-Ⅰ』高科書店、1998年6月)
松本直樹「トヨタマビメとスセリビメ―異界王の女―」(『古事記神話論』新典社、2003年10月、初出1998年6月)
青木周平「八千矛神」(『青木周平著作集 中巻 古代の歌と散文の研究』おうふう、2015年10月、初出1999年11月)
瀬間正之「記載文学としての八千矛神歌謡」(『記紀の表記と文字表現』おうふう、2015年2月、初出2002年3月)
瀬間正之「文字記載と歌謡」(『記紀の表記と文字表現』おうふう、2015年2月、初出2002年9月)
土佐秀里「藤原麻呂贈歌三首の〈神話〉」(『律令国家と言語文化』汲古書院、2020年2月、初出2005年3月)
吉田敦彦「八千矛神の妻問いと弥生時代の稲作の祭り」(『大国主の神話 出雲神話と弥生時代の祭り』青土社、2012年2月、初出2006年11月)
榎本福寿「八千矛神の未遂の恋をめぐる歌と神語」(『古事記年報』50、2008年1月)
『古典基礎語辞典』(大野晋編、角川学芸出版、2011年10月)
竹内宙明「『古事記』における大国主神」(『青山語文』45、2015年3月)
谷口雅博「大国主神の「亦名」記載の意義」(『論集上代文学 第三十七冊』笠間書院、2016年1月)
竹内宙明「『古事記』における「色好み」について-「色好み」の再検討-」(『青山語文』48、2018年3月)
鶉橋辰成「八千矛神神話の考察―「鎮坐」を中心に―」(『古事記學』6号、2020年3月)

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