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山佐知毘古

読み
やまさちびこ
ローマ字表記
Yamasachibiko
別名
火遠理命
登場箇所
上・海神の国訪問
他の文献の登場箇所
紀 山幸彦(十段一書三)
旧 山幸彦尊(皇孫本紀)
梗概
 火遠理命のことで、山の獣類を獲る生活を営んでいたことによる呼称。
 ある時、海佐知毘古として海の魚類を獲っていた兄の火照命と、その生業の道具を交換するが、借りた釣針を失くしてしまい、兄に責め立てられる。海神の宮に行き、兄の釣針を得て帰ると、海神に受けた教えに従って兄をこらしめ、制圧した。
諸説
 「海佐知毘古」「山佐知毘古」という神名は、海の獲物を得る男、山の獲物を得る男の意と解される。
 サチは獲物や、獲物を獲ること、また、獲るための道具をも指すが、根源的には、獲物を手に入れるための呪的な霊力のことと考えられている。現代でも、狩猟の幸運やそれをもたらす霊力を「しゃち」と呼び、あるいは、狩猟神を「しゃち神」などと呼ぶ例が各地で確認されている。
 『古事記』の火遠理命の言葉で「各さちを相易へて用ゐむと欲ふ」という「さち」(佐知)は、獲物を獲る道具を指している。『日本書紀』十段の一書三には、「海幸」「山幸」をよく得ることから「海幸彦」「山幸彦」と称する、と記されており、このサチは獲物を指している。あるいは、同・本書には、兄弟がそれぞれ本来「海幸」「山幸」を持っている(「自づからに海幸有り」「自づからに山幸有り」)と記され、この場合は、各領域の獲物を手に入れる霊力を指していると考えられる。
 また、『常陸国風土記』多珂郡飽田村条に、倭武天皇(倭建命)と橘皇后が、山野と海に分かれて獲物を競った話が見えるが、獲物のことを「祥福」と書いて、「佐知(さち)」という「俗語」で読むことが注記されている。「幸」や「祥福」といった表記の通り、海佐知毘古・山佐知毘古の道具はそうした漁撈・狩猟の成功をもたらす霊力を宿した道具であると考えられる。
 また、火照命(海佐知毘古)が釣針を失くした火遠理命(山佐知毘古)を責め立て、元の釣針を返すしてもらうことにこだわったわけは、そうした呪力を持った道具の喪失によって生活基盤を脅かされることに対する必死の要求であったとする見解がある。
 詳しい神格や事跡については「火遠理命」の項も参照されたい。
参考文献
西郷信綱『古事記注釈 第四巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年10月、初出1976年4月)
倉野憲司『古事記全註釈 第四巻 上巻篇(下)』(三省堂、1977年2月)
『古事記(日本思想大系)』(青木和夫・石母田正・小林芳規・佐伯有清校注、岩波書店、1982年2月)
松村武雄『日本神話の研究 第三巻』(培風館、1955年11月)第十七章
松本直樹「大和王権と隼人・阿曇」(『古事記神話論』新典社、2003年10月、初出1988年2月)
室屋幸恵「海幸・山幸神話における「易佐知」の意味」(『國學院大学大学院紀要―文学研究科―』43輯、2012年3月)

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