國學院大学 「古典文化学」事業
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葦原色許男神
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葦原色許男神
読み
あしはらしこをのかみ/あしはらしこおのかみ
ローマ字表記
Ashiharanoshikoonokami
別名
葦原色許男命
葦原色許男大神
大国主神
大穴牟遅神
八千矛神
宇都志国玉神
登場箇所
上・須賀の宮
上・根の堅州国訪問
上・大国主神の国作り
垂仁記・本牟智和気の御子
他の文献の登場箇所
紀 葦原醜男(八段一書六)
播磨風 葦原志拳乎命(揖保郡)/葦原志許乎命(宍禾郡)
旧 葦原色男(地祇本紀)/葦原色許男神(地祇本紀)/葦原醜雄命(地祇本紀)
梗概
大国主神の持つ名の一つ。須佐之男命の系譜の中に見えるほか、根の堅州国訪問や国作り、垂仁記など諸所に見える。
諸説
葦原色許男神は、大国主神とは、本来別々の神であったとされる。その神名については、「葦原中国の頑丈で強い男神」と肯定的に解する説や「葦原中国の醜い男神」と否定的に解する説がある。『古事記』における葦原色許男神は、須佐之男命や神産巣日神などからの呼び掛けにおいて用いられる呼称であり、いずれも発話文中に見える神名であることから、根国や高天原などの葦原中国とは異なる世界の人物から、葦原色許男神に対する呼称であり、葦原中国を象徴する神名であるとされる。また、民俗学的には隻脚神としての印象が認められるという。葦原色許男神の登場する根国訪問段は、成年式を基盤としているとされ、大穴牟遅神から大国主神への成長を語る物語であると解されている。
参考文献
武智雅一「葦原色許男命の名義について」(『愛媛国文研究』9号、1960年3月)
菅野雅雄『古事記系譜の研究』(桜楓社、1970年11月)
大林太良『日本神話の構造』(弘文堂、1975年4月)
秋本吉徳「アシハラシコヲについての一考察―播磨国風土記を手がかりとして―」(『古事記年報』20号、1978年1月)
神野志隆光『古事記の世界観』(吉川弘文館、1986年6月)
菅野雅雄『古事記構想の研究』(桜楓社、1993年6月)
大脇由紀子「葦原色許男―『古事記』の構想から見たその名義」(『古事記の神々(古事記研究大系)』高科書店、1998年6月)
福沢健「葦原色許男と大国主の国作り」(『古事記の神々(古事記研究大系)』高科書店、1998年6月)
小濱歩「『古事記』における「葦原色許男命」についての一試論」(『神道研究集録』19号、2005年3月)
岡本恵理「垂仁記と出雲―「葦原色許男大神」を中心に」(『上代文学』98号、2007年4月)
足名椎
阿須波神
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