江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(表紙見返し) 「 賀茂真淵翁著 万葉新採百首解 全二冊 皇都 二書堂梓 」 (序文) 万葉新採百首解序〔一オ〕 いにしへの歌はあめつちのなしのまに〳〵なる海山の ことししかありてあらたまの月日とともに移りゆく 雲風花もみちにつきていひ出つれは今に有ても其 時をみるか如くまこと有てめてたくなむおほえける 中ころの歌は猶そのおのつからなる海山の如くなん あるか中に鷲のかゝなく嶋山のおく鰐のいかれる海 そこひなとをは除てまゆのことにほひやかに鏡なす たひらかなるさまをいひ出つれは風流たることの極 みなりけり後のよの歌は其まことある心はわすれ ゆきて唯此みやひやかならんをのみねかひ且おの〔一ウ〕 かしゝこまかなるたくみをそへもてきぬれは高山 は短山となり大海は小池にうつりて終には庭の 面につくれることくなんなりにけるおほよそものゝ うつりゆくわさも一たひふたゝひなとこそあらめあま たゝひとなりてはいとことさまにならすやはある譬 へはふしのねを思ひて比枝の山をのそみ塩かま の浦を恋てあふみの海にむかふめるはさても有なんを 其ひゑあふみもまた〳〵うつりてほとなき庭 に作りたらんはいかて心くるしからさらんされと道近き さかひを思ふとてはうつしもしつへきをうつろひ〔二オ〕 てのよとなりて譬へはふしの山塩竃の浦なとの近く すまむ人さる海山は常あるさまそとて短山小池 なとを家の庭に作りてめつるか余りにとしつき へて立も出ねはちかくさる海山の有ことをもわすれ て人のいさなへとも我庭にしかしとのみいひをらんか如く なん成けるさるあまりにかく所せはく成にては其もとに 帰るへきものとよきひとのいひけるをきゝてあるひとのこゝろみ にほとなき庭を出て雪のあした花の夕ことに思ふとち 駒なめ舟きほひしつゝみるにかの所せくさかなかりしことを 始ておほえつとなんいひけるかく古の学はあしかきの〔二ウ〕 まちかくのみあるをかきわけてみぬ人こそあやしけれ やつかり此意をいはまくするほとにやむことなき仰こと をかしこくうけたまはりたれはかの海山なすおのつ からなる百くさの歌を万の言葉てふふみよりつみ いて峯の雲あかれるよの意をむかへ浜ちとり あとあることはをとりつゝことわりをしるしぬるに なむありけるあなかしこ 賀茂真淵謹言 川喜多真彦書
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