万葉新採百首解ビューアー

江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による
『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。

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(第六四首)
巻之三 高市連黒人、羇旅歌【八首の中二首】 桜田部、鶴鳴渡、年魚市方、塩干二家良進、鶴鳴渡(二七一)
さくらたへ、たづなきわたる、あゆちがた、しほひにけらし、たづなきわたる


黒人は、藤原の朝の人成べし、伝は考へず、歌は集中にかた〴〵見えて、古の上手の
うちなり

こは尾張の国の、あゆちの郡の海辺に、さくら田てふ所あれば、其あゆ〔五一ウ〕
ちかた塩干になりぬらんかし、さくら田の方へ鶴のむれて、鳴わたると
いへり、赤人の塩みちくれば、瀉をなみてふ歌とはそむきて対へり、巻の七
にあゆちがた、塩干にけらし、のうらに、朝こく舟も、沖によるみゆ、ともよ
みたり○此あゆち、桜田は、神代紀【草薙の剣の/事によりて】今在《二》尾張《一》
祝部所《レ》掌之神なりとある、景行紀にもみゆ、和名抄に尾張国アユ郡【阿/伊
智】厚田、サク、成海などあり、神楽歌にさくら人、其舟ちゝめ、島つ田に、とうたふ
も此所なりけり、しかれば桜田はあゆちがたに有て、汐のみちひある事しる
べし、此あゆち、桜田を、紀伊国にありといへる説は誤れり、右の証のみかは、
此八首、近江、尾張、三河、と順によめる地名なるを見すや、右に引たる
浦は、同国智多郡にて、愛市にならひて海辺なり

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