万葉新採百首解ビューアー

江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による
『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。

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(第五七首)
巻之一 幸《二》伊勢国《一》時留《レ》柿本朝臣人麻呂歌【三首】 鳴呼児乃浦尓、船乗為良武、嬬等之、珠裳乃須十二、四宝
三都良武香(四〇)
あこのうらに、ふなのりすらん、をとめらが、あかものすそに、しほみつらんか


○持統天皇、朱鳥六年三月御幸有し事、紀にみゆ、此度人まろぬしは、
京に有て、彼在所のことを思ひやりてよめる也【三月に出御五月まで御座有し/とみゆる、其間のうたなり】〔四六オ〕

あこのかりみやにおはしますほどみやひめたちのこゝの浦廻の于潟に遊び、
舟乗などしつゝめづらしむ間に、うつくしき裳すそに、おもほえす塩のみ
ちきぬらんと、面白きさまを思ひはかりて云る也、あかものすそにしも塩
みつらんめづらかなるとりなし、此主の常なり、此をとめらは、宮女たちをさ
せり○うらは巻十五に、新羅への使此歌を古詠にて調へたるに、
のうらに、舟のりすらんをとめらがのすそに、しほみつらんか、とよめり
持統紀、此度の条にも、五月乙丑朔庚午御《二》阿胡行宮《一》としるされ、此集このうら
書にも阿胡と有、然ば和名抄に志摩国【阿/呉】とある即これにて、其所の
浦をいふ事顕はなり、今本に児を見に誤たるを正さであみのうらをみ〔四六ウ〕
のうらなど又そらに覚えたるにや、おふの浦とも云たるは皆ひがこと也、右十
五巻の歌の一本とて、とあるはを誤れると、右の
またの証にて知べし○をとめをも又巻十五にしたがひてをとめとよむべし、
此二字を歌によりてつまともよめれど、つまとは夫婦に依ときの語にて侍る
故に、つまともと云語はなし、其上こゝは宮人をいふ歌なれば、通称にてをとめら
と読べきのみ○珠裳はたまもと読もさも侍るへけれど、是をも
よみたれば、其例に従ふに又珠はあかき意にてかけりとも見ゆれば、あかとも読
べきなり

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