江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
目次を開く 目次を閉じる
万葉新採百首解巻之上〔三オ〕 春 (第一首) 巻之十春はるの雑くさ〳〵の歌うた 久方之、天芳山、此夕、霞霏、春立下(一八一二) ひさかたの、あめのかぐやま、このゆふべ、かすみたなびく、はるたつらしも
凡春の物を詠るくさ〳〵の歌ゆゑにしかいふ、夏秋冬もしかり、古今集の 雑歌とは異なり、歌の左にいはく右柿本人麻呂歌集と出て古の家の 集てふは、古今の人の歌を書に書集めたるが中に、自分のをも書く はへけるなりけり、且みづからよめるには多くおもてに名をしるし、古歌 はたよみ人のしられたるには、表にしるせしなるべし、よりて人麻呂の よめるとしるしたる歌ならぬは、他あだし人ひとの歌なり、されば此歌は 人麻呂の歌ならぬをもおもふべし、且歌の左に書たる詞はたま〳〵 家持卿の筆とみゆるもあり、また憶良大夫などの家集も交りつれば 作者の自注もありけり、其外は裏書に後の人の書たるなり其裏書 の事は釈日本紀に引る歌にそしらる、また古の事しらぬ後世の俗の〔三ウ〕 しわざも多し、ひとへに泥なづむべからず、人麻呂ぬしの伝は末に其歌の所にいへり 《上欄》古書は皆巻物/にて紙あつ/けれは其紙の/うらに注を/なしたり其/注は後人の/書るなり是/を裏書と云/記録にも歌/書にも多し/とち本にせし/世に其條の/末に書たり/いつれの古/書にも皆有/よつて其注/にはいとあや/まちの事も/あるを見わ/きてとるへ/きなり 香山を望めば、此夕ぐれのどやかに霞棚引つるは、春の立たるならん てふ意のみなり、かくことすくなくうるはしく姿も高く調ふるが かたきなり、さて人麻呂の書つめおかるゝと、歌のすがた此山をし も見たるなどを思ふに、飛鳥あすか藤原のみやこの頃によめる歌なり ○久かたは天てふ事にかふむらしむる語なり、続日本後紀の歌に此詞を 瓠葛の天と書るを思ふに、円に瓠ひさごの内むなしきを、天の形に譬へ て瓠ひさ象かたの天あめと云なり、礼記に以テ《二》陶瓠ヲ《一》象ル《二》天地之性ニ《一》てふも似たる意と 覚ゆ、右の瓠は瓢の事【まろきひさこに/瓠の字を用ふ】象はかり字にて形象の事也、皇朝みくにの 古は語をもとゝして、字を仮とせしかば語ことはにすらかなへば、字訓は仮借をき〔四オ〕 らはず交へ(々ヵ)たり、此冠辞を神代紀に天あめ先まつ成なり地つち後のちに定さたむてふ語あるをも て、天の地に対しては久しき方といひ、又はまつかたまれるてふ事によりて、 久しくかたきいひなどいへる説あれど、おもふに古の義にあらず、且久し くかたきの天といふべからず、用の語に体の語をおくは、後俗の語なり、古 は体の語よりこそ用とはいひたれ、委しく冠辞考にいへり○天芳 山は大和高市郡にあり、神武天皇此山近く都し給へは皇都みやこの鎮しづめとも 崇たつとまれし山なり、さて此天あめを後世はあまとよめども、古事記の音 注に阿あ米めとあり、倭やまと建たけ命の御歌にも、安あ米め能の加か具ぐ也や満まとあれば、 あめと唱べし、加具の具ぐは濁なり、神武紀に香山此云《二》介か遇ぐ夜や麻ま《一》と 注したる、其外濁るべき理ことはりもあり