江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第四一首) 巻之十六 安積山、影副所見、山井之、淺心乎、吾念莫國(三八〇七) あさかやま、かげさへみゆる、やまのゐの、あさきこゝろを、わがおもはなくに
歌の左に云右傳云、葛カツラ城キノ王ヲ遣《二》陸奥国《一》之時【班田使か又辺要な/れは事有てつかは され/し也】国ノ司祇承緩怠異コトニ甚シ【其国司の官人おろそけにし/てなめげなるをいかり給へり】於《レ》時王ノ意不《レ》悦 怒色顕ル《レ》面ニ雖《レ》設《二》飲饌ヲ《一》不《二》旨宴楽セ《二》於《レ》是有《二》前ノ采女風流娘子《一》【采女は諸国/の郡司以上〔三二ウ〕 姉妹姪なとの中に撰みて、貢なる例にて参りしが、今はまかりてあれば、前のといふ/ならん、さてさる女なれば風流なるか心につけてめてたければ、王の意もとけ給へるなるべし、/且文武紀に大宝二年四月陸奥は勿《レ》貢の制みゆれば、これはそのさきなりけん、これを思へば/この葛城王は、天武紀に八年秋七月、葛城王卒とあり、王のことならんといへるに、諸兄公は右の/大宝二年のさきに遠き諫して、給ふ/ほとのよはひにはおよはさるへし】左ノ手ニ捧《レ》觴ヲ右手持《レ》水撃《二》之王膝《一》而詠リ《二》此歌ヲ《一》 尓乃王ノ意解トケ脱楽飲終日 これ即山の井の水にて、歌をいはん料也と云説もあれど、水は碗まりにもれ る物ならんと、武烈紀の歌などにつけてもみゆるを、觴を持しを思へ ば、酒を水に誤れるにや、又水は缶ホトキの字を誤るか、又文にては酒にまれ、水 にまれ王の膝にそゝきけるが如くみゆれど、右の戯れとてもいかてしからん、 いまおもふに、觴と酒缶とを左右の手に持て、王の膝近くよりて、此歌 をうたふに、かのものを持ながら王の膝にて曲節をうちたるをいふ 也けり、いとなまめき戯れて酒をすゝめまゐらするさまなり、飲楽 とあるやかて此ゆゑなり〔三三オ〕 山の井てふは、おのづから出る山の岩間の清水のたまれるなれば、 あさき物なるを、あけていひて吾は其如く、浅くは君を思ひまゐ らせぬものをといへる、さて浅きといはん料は、山の井にてたれば 上は水の清ければ、その山の影うつるけしきを云たるのみ、巻十三 に、天あま雲くもの、影さへみゆるよしの川、とよめるが如なるべし、浅きて ふ名ある、山のかげしもうつしてとまて意得るは、古意ならず同し 語をひゝきとせしには有ぬべし○あさか山は、陸奥安積あさか郡の山也、 山の井もそこに有べし、古今集に貫之が結ふ手のしづくに濁る云々と いへるもいと浅き水にて、一むすびせし雫にやがて濁る意なれば、今の 浅きもおもひあはすべし、古今の序にいへる如く、難波津の歌は〔三三ウ〕 みかどのおほん代のはしめをそへ、あさか山の歌はかく王の御心をも なぐさめて、此度のことも成つれば、まことに歌の父母のごとし、むかし よりめて手ならふ物にもせしなるべし、然るを後の世に何ものか しけん、色いろ者は雖にほ《レ》艶へと散去ちりぬるを我わか世よ誰たれか常つねならんてふことをいひて、文字 のならひそめとせるはひがことなり、物のはじめにわか代たれか常な らんなといふ、語をすべき物かは、かの二歌こそよけれ、さなくばあいうゑ を、などの五十音こそはせめ