江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第五八首) 釧着、手節乃崎二、今毛可母、大宮人之、玉藻刈良武(四一) くしろつく、たぶしのさきに、いまもかも、おほみやびとの、たまもかるらん
これも同し志摩の国に、汐干にをり立て、其程にや玉藻など刈て遊ふらん といふなり、此大宮人は男をいふ成べし【宮女を宮人と云は紀にも令にもあれど、そ/れは前のあかものあかものすそに塩みつらんか、又は舟〔四七オ〕 のりすらんなど云にて、女のかゝることいと珍らしき興を思ひてよめり○此藻を刈までのわ/さは男たちの戯遊とみえたり、既にいふ大宮人はいとまあるにやとよみしも男とこそ見えたれば、 いづれをも/いふなり】○釧くしろ著つく云々集中に玉釧手に纏とも吾妹児は釧にあらなん左手 のわがおくの手にまさ(ママ)ていかましを、ともよみ、史には割さく久ゝ志し呂ろ五十鈴な どゝも有、和名抄に釧【比知/万伎】在ル《二》指上ニ《一》者曰《レ》環在ル《二》臂上ニ《一》者曰《レ》釧と此訓ひちまき と有は俗訓なり、古名は右の史と万葉にくしろと有にて明らけし、さて手ひ ぢにまとふ釧なれは、手節にいひかけたり【臂は手のふし/なれはなり】然るを今本に剣と誤 りて、たちはきのと訓て、即太刀は手もてはく故に、手に冠らしめつといへ る説は甚しき誤り也、太刀のみ手してはかば、且太刀ともなくて剣とあるも 誤の証なり、尚冠辞考に委し○手節の崎は和名抄に志摩国、答志郡 答志とあり、答志と云たるをもふを濁りてよむへきなり○玉藻は玉の如く 丸き子ある故に云、凡草木に玉何とよふは専ら此意なり、たゞほめたる 語といへど、玉もてほむるも物にこそよれ〔四七ウ〕