万葉新採百首解ビューアー

江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による
『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。

目次を開く 目次を閉じる

目次を開く 目次を閉じる

(第六五首)
四極山、打越見者、笠縫之、嶋榜隠、棚無小舟(二七二)
しはつやま、うちこえみれば、かさぬひの、しまこぎかくる、たなゝしをぶね〔五二オ〕



しはつ山を、打こゆれば海のみやらるゝに、小舟の嶋にこぎ隠れ行ほど
のさま、えもいはぬけしき成べし、よき景の上に、ふねこぎわたるは、ことに
面白くみゆれば、塩かまの、浦こく舟のつなてかなしも、釣する舟はこゝに
よらなん、などもよみたり○四極は此たひ八首の歌は、近江、尾張、三河と
つゝきて、未にやましろたかつき村の歌も有、これらによりて考るに、巻の六
難波行幸の時、千沼廻より雨ぞふりくる、しはつの泉郎あま綱手縄ほせり、
ぬれてたえんかも、とよみし千沼は和泉の国にありて、摂津に隣れり、
扨四八津は、摂津国に有べし、いかにとなれば、雄略紀に此月為《二》呉客《一》ヒラキ《一》(ママ)
ツノミチ《一》《二》クレサカ《一》【これは呉儀等の住吉の/津に来りし時のことなり】此山路なれば此しはつ坂路を
越て、海をよむべくば笠縫てふ嶋もその海にあるならん、延喜式斉
宮寮式に、御輿中子蓋一具【菅斉骨斜梯は従《二》摂/津国笠縫氏《一》参来】此外にも、摂津国笠
縫氏を召こと侍り、此氏人の住る島か、またさらても拠ある名なり、〔五二ウ〕
たなゝしふねとは此文字の如く、大舟には舟棚とて、左右のはらに、水主
のありきの板あり、小舟にはなければしかいへり、集中にみえたり

《上欄》四極山豊前/豊後にも有/といへと此歌/は必さる遠国/にはあらぬこ/とは八首のな/らひにてしる/へし

本文に戻る

先頭