江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第七三首) 巻之六 幸《二》紀伊国ノ《一》時、山部ノ宿祢赤人ノ作歌【長歌の反歌二首の中】 若浦尓、塩満来者、滷乎無美、芦辺乎指弖、多頭鳴渡(九一九) わかのうらにしほみちくれば、かたをなみ、あしべをさして、たづなきわたる
神亀元年、十月五日に、此御幸ありしと聖武紀にみゆ 汐の干潟に遊ひおる、つるむらの、汐みち来るまゝに、其ひかたのなく成 行は、芦辺をさして鳴つゝわたると也、只打みたるさまを、其まゝにい ひつらねたるがおのづからよろしくとゝのひたるもの也、意はあゆちがた におなし○若浦は、神亀元年紀に委し、此時改テ《二》弱浦ヲ《一》為《二》明光浦ト《一》こ の弱は若と通ひて訓ももとの如く、明光と訓は同じとて、只字改られ しのみなり○滷乎無美は、此字の如く汐滷乎、干潟の無しててふ意也、 【此無美は美は無てふ字/をつゝめてなみと書り】〔五八オ〕 《上欄》続紀を考る/に字を改め/らるゝこと所々/に有て久仁の/都を恭仁と改/られつるも訓は/もとのことし/若浦はこれ/によるに弱/又は明光と書/へし和歌の浦/と書て歌のこ/とにいひよす/るはいかにそや/和歌は字音/にてこそあれ/歌を和歌と/云こと古にな/きこと也