江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第七九首) 巻之九 ユヒス本モトノ歌 楽波之、平山風之、海吹者、釣為海人之、袂変所見(一七一五) さゝなみや、ひらやまかせの、うみふけば、つりするあまの、そでかへるみゆ
歌巻には高市歌山上歌なとよみ人の氏のみ書たるあまたあり 意明らけし○さゞなみてふ詞に二くさあり、此歌の如く、志賀郡の地に 冠らせいふは、篠さゝてふ意にてつきたる地名なれば、佐々の二語を清て よむなり、神功紀に狭さ々ゝ浪なみ、栗林、欽明紀に、狭さ々ゝ波なみ山、天武紀に、諸将 軍等悉ク会《二》篠波ニ《一》而云云【篠此云/佐々】此外にも多し、集中にさゝなみとて 志賀、大津、比良、など或はさゝ浪の大山守、さゝなみの国などゝも云〔六二オ〕 る皆これなり、又ひとつは小波の事にて、佐々の下を濁りてよむなり、 故にその意なるをは、万葉に佐さ邪ゞ波なみ佐さ射ざ波なみなど濁る字を用たり、 集中にさゝ波の志賀、佐さ射ざ礼れ波なみともよめる、即上は篠靡さゝなみてふ地の名、 下は小波の意なること明らか也、似たる詞ゆゑまどふ人多き也、それを 楽波と書は、借字にて且略きて書たるなり、巻七に神楽声波の 志賀之浦と書たるによるに、古の神楽にさゝ波てふうたひものある 成べし、後世にあれど古の詞とも聞えねは、そは後にまねびたる物なる べし、尚冠辞考に委し○平山は斎(ママ)明記に、近江平之浦ともいへるに 同じ所にて比良の嶺といふこれなり