江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第九五首) 娘ヲトメ等ラ更サラニ報コタフ歌【三首の中】 麻都良我波、奈々勢能与騰波、与等武等毛、和礼波与騰麻 受、吉美遠志麻多武(八六〇) まつらかは、なゝせのよどは、よどむとも、われはよどまず、きみをしまたん
こは前に挙たる憶良の、遠つ人まつ らの河に、わかゆつる、妹か袂を、我こそまかめ、てふ歌にこたへたる也 此まつら川に、多く川淀ありて、水のとゞこほるが如くはあらじ、これはつね におもひおこたらず、君がまた来まさんを待んと也、巻の七に、たえず ゆく、明日香の川の、よどめらは、ゆくしもあると(ママ)、人のみらくに【これもよとむ/を怠る事に たとへ/たり】てふも今も意はことなれと譬たる様は同じ○七瀬とは集中に 飛鳥川、七瀬よとも、鈴鹿川八十瀬、ともよみて川瀬の多きをいふ、さて〔七三ウ〕 其瀬ある川には、必ずよとみも多き也、且上世には八の数をいへるも多きを、 又七の数をいへり、神代紀に猿田彦の鼻の長さ七咫ナヽサカとも、祝詞に伊弉 冊尊の黄泉ヨミにての事に、七日七夜、万葉に我君は七代と申さぬ、後 に川社なぬかさしせとなるなり【七の数を臘の事也となどいふは、他の国のさ/たのみ○皇朝の古は七も八も凡の数にいへる 多し、又正しく七八の数なるもあり、其本は大拇指と中指とをはる時は指の中のきさ八/有ゆゑに、八咫といふ又大母指と食指とをはる時は指の中七つあるゆゑに七咫といへり】