江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
目次を開く 目次を閉じる
賀 (第九九首) 巻之八 春雑歌志シ貴キノ皇子ノ懽ヨロコヒノ御歌 石激、垂見之上乃、左和良妣乃、毛要出春尓、成来鴨(一四一八) いはゞしる、たるみのうへの、さわらびの、もえいづるはるに、なりにけるかも
こは天智の第七の皇子にて、天智紀を始め、続日本紀にもかた〴〵見えたり、 此懽はいか成時ともしらず、代々貴まれませしが中に、文武の慶雲三年正月 に、二百戸元正の霊亀元年正月二品とみゆれば、此等の時の御歌にや、扨 此皇子の御子おほしえず、称徳の太子立し給ひ末に、光仁天皇とき こゆ、其御代に及て御父志貴皇子に御春日宮天皇と御諡奉給 へり【田原天皇/とも申す】かみさり給ひしは霊亀二年七月也 たるみてふ山に、冬こもれるわらびの春にあひつゝ、もえ出るに時を得給ふ、〔七六ウ〕 御歓ひをそへ給へる、よくかなひたるよろこびの御歌也、こは前にいへる ごとく、御歓の折はしらねど、此皇子の御子天皇とならせ給へは、その 前祥めきて聞ゆれば、何のいはひにも先こそ唱へつべき御歌也○石激云云は 集中に、石走、垂水、石流垂水、とも書たり、さて字にては石走滝とある 同じ意の詞を、かなに伊波婆之流多芸いははしるたきと書たるあり、それもて推 に石走垂水を、いはゞしるたるみとよむべければ、石流、石激、と書たるも また同くいはゞしると訓べし、集中には字にてさま〴〵書たる語を、 ひとつの仮名書にてらし合せて訓ことなり、然るを今本に此歌をいは そゝくと読しは、例なきよみ也○垂見の見は借字にて垂水也、こは 摂津国豊嶋郡に有、地名なる事集中にもみえ、又新撰姓氏録に 摂津国、垂水の山の冷水のことをいひ、延喜式、和名抄などにも同国 に挙たり、然るを後世此御歌をいはそゝぐたるひのうへの、云云と唱ふるはいと〔七七オ〕 誤れり、猶委くは冠辞考にいへり