江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第七一首) 巻之六 山部赤人ノ作歌【長歌の反歌二首の中】 烏玉之、夜乃深去者、久木生、清河原尓、知鳥数鳴(九二五) ぬばたまの、よのふけぬれば、ひさきおふる、きよきかはらに、ちどりしばなく
此長歌に、春の茂野てふ詞のあれは、春吉野の宮へ、御幸有し時の歌成べし 山深くて清らなる吉野の川に、千鳥のしば〴〵鳴音を、旅にして夜 深く聞へらんは、よに憐なるべし○ぬばたまは、くろき玉なるゆゑに、 黒玉と書を、烏玉と有も黒き意也、さて日本紀私記には、射干の子を〔五六ウ〕 云といへる、万葉に野干玉、射干玉と書たるも此意とみゆ、さて其射 干玉は黒ければ黒き物には皆冠らしむるを玉とて、転しては夜とも 闇ともつゞけ、再転して声とも月ともつゞくるは、夜のものなればなり、また 黒髪、黒駒、の黒につゞくるよりして、たゝ髪とも駒ともつゝくるめり、 其外さま〴〵なれば、皆転じてのつゞけのみ、然るを中頃の世の末よりぬは玉、むは 玉、とことわけて、おの〳〵つゞくるに別意有と云るは誤れり、其うはむは、烏玉 の黒き意なるを意得、鳥の字の音ぞと思ふ俗のさた也、うは玉は古へ なき詞也、古ふる書ことみぬ人の私事なること明らけし、扨万葉集中に字にて は、さま〴〵書たれどかなにては奴ぬ婆は多た麻まとのみあれば字はいかにとも訓 ば、ぬばたまといふ外なし、尚冠辞考に委し○久木は和名抄に楸【比左/木】木名 也又梓【阿豆/佐】木名楸ヒサキ之属也といへる、今の物産者流の云、此二木相似た れと子みのあるを梓とす、俗にあかめかしはといふ木なりと、さて〔五七オ〕 此歌にはよしのゝ川辺に、此木多かるゆゑにいふのみ、所のさまをよく いひなすは、即歌の姿なり○清河原とは、よしの川はことに清ければ いふのみ、伊勢の海の清き渚なきさてふも、これに同じくて、共に地名にあらず 《上欄》名所集てふ/ものに地名/とせしは万葉/みぬ人の誤/なり