江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第八一首) 巻之三 柿本朝臣人麻呂ノ歌 淡海乃海、夕浪千鳥、汝鳴者、情毛思努尓、古所念(二六六) あふみのみ、ゆふなみちとり、ながなけば、こゝろもしぬに、むかしおもほゆ
此歌の上に、只一首へだてゝ同じ人、近江より登るてふ歌あれば、あと先 なる様なれど、此巻は家持主の打きくまゝに、書集めたりとみゆれ ば、かくも有べし、すべて此巻はことのついでみだれて聞ゆ 故郷の大津の宮のほとりの、夕波千鳥の鳴こゑきけば、心と愁へ〔六四ウ〕 しるべく、いにしへおもほゆるに堪がたしとなり、此人淡海の故京を かなしめる歌数多あり、こゝに生れしゆゑにことに侍りけん○淡海 の海を神功紀にも、阿布弥能弥あふみのみといひて古の例なり○汝なか鳴なけ者ばは 字のことく千鳥の汝か鳴ば也○情こゝろ毛も思し努ぬ尓にとは、心もしなへさまにてふ こと也、集中に草本の靡きしなへるによせて、心もしぬにとも、しのふ ともたゝいひ、人の姿をも立しなふなどゝよめる、人の情にては常は平ら かに、いかれる時はたち、愁ふる時はなよ〳〵としなへたると也、然る を物の繁きことを、しゝといふを、草木のうへにいふ時まぎるれば、しの をも、繁き事と、おもへる人多き古語をよくみぬゆゑなり