江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第八八首) 巻之三 沙弥満誓ノ歌一首〔六八オ〕 世間乎、何物尓将譬、且(ママ)開、去師船之、跡無如(三五一) よのなかを、なにゝたとへん、あさびらき、こぎいにしふねの、あとなきがこと
満誓はもと四位の右大弁にて、笠朝臣麻呂といひけるが、出家せんと乞て 許されて、其後養老七年に、造筑紫観世音寺の別当とせられし事、元明紀にみゆ 世のなかのはかなきをたとへば、朝に湊こぎ出立し船の波の上にあとも のこらぬが如となり、人麻呂のいさよふ波のゆくへしらずもてふに似たる 意あり、古今集にかのかたに、いつしかさきにわたりけん、波路はあとも、の こらさりけり、とよめるは満誓が詞を用ひたる物なり、さて故は旅の歌 の中に入たれば、旅にて海づらみるまゝに思ひおこせし成べし○且(ママ)開 は、あさびらきとよみて、朝に湊より舟発るをいふ、故に集中にあさびらき てふ詞の、船にのみ冠らしめし也、其中に巻十七に【従《二》珠洲郡《一》発《レ》船還《二》大沼郡泊/《二》長浜湾見《レ》月云云とて】すゝの 海に、あさびらきしてこきくれば長浜のうらに、つきてきにけり、と〔六八ウ〕 しもよみたるにて明らけし、尚冠辞考にいへり○後の物に此歌を世 のなかを、何にたとへん、朝ぼらけ、こき行船の、あとの白波、となほしたるは いと誤れり、先朝あさ朗ぼらけてふ詞は、古今にあれど奈良の頃まではなき詞也、 去師と書たるはこきにしとか、こきいにしとか、よむべき例也、然るを こき行とよみては師の字をいかにせん、其上こゝは既に行しあとならでは かなはぬ也、跡なきがことゝ書たれば、あとなきがことゝよむ外なし、さて こそ詞も時に叶ひ、理もたしかなれ、然るを跡の白波と云るは何事ぞや 《上欄》あとの白波/といふ味有/なといふは/論にも足らす/近江の海に/てよめるな/といふは拠/もなきこと/也つよく云ん/とならは此/歌の上に同/し人しらぬ/ひのつくし/うたとよみ/其次太宰/帥の歌有/て今の歌の/あるによれは/筑紫にてよ/める故に旅/の中の歌な/らん