江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第一一首) 夏 巻之十七 歌の左に云、天平十六年四月五日、独居《二》於平城ノ故郷ノ旧宅ニ《一》〔一二オ〕 青丹余之、奈良能美夜古波、布里奴礼登、毛等保登等芸須不鳴安 良奈久示(三九一九) あをによし、ならのみやこは、ふりぬれど、もとほとゝぎす、なかずあらなくに
大伴ノ宿祢家持ノ作ルこれは天平十三年に、京を山城国、相楽郡、久 尓郷にうつされて、又ほどなく奈良へかへされたり其間に よめるなり、かの久迩の京、とゝのほらぬほどは、猶奈良にありて よめるが又たま〳〵立かへりてよめるか 此都を故郷とせられし、をしさはさる物にて、いとせめてもと聞 なれしほとゝぎすの、今も鳴にかはらざるとなり○古今集に素 性法師の奈良の石上いそのかみ寺にて、郭公を聞て、いそのかみ古きみやこ の、郭公、声ばかりこそ、むかしなりけれ、とよめるも今に似たれど、素性 のは面白しとは聞えで、今の歌ばかり身にしみて故郷の恨は〔一二ウ〕 覚えず、物のまことをいふと、たくみたるとのわかちめなりけり ○青あほ丹に余よ之し奈な良らてふ冠辞は、古事記に夜本尓余志伊岐豆岐能やほによしいきつきの 美夜みや出雲国造神賀詞に、八百丹やほに杵築宮きつきのみやなどいへるに対て思へは八百土 に平とつゝけたる也、八百は弥百やほの略也、青の阿も以夜の反阿なれば阿乎あを 尓弥百土にやほには同し語なり青を略して保ほといひ、其保ほを半濁に乎と 称ふ、百もゝ千ちの反を乎知加開利をちかへりと云類也○丹には土つちの古語也○余よはよひ出 す辞之しは助辞のみ、紀にまそかよそかのこゝといひし、万葉にはますげ よしそがの川原、とも云類にて、吉の字の意にはあらず、吉と書は借字のみ、 猶冠辞考に委し