万葉新採百首解ビューアー
江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による
『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による
『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
(第一八首)
巻之十 詠《二》鹿鳴《一》
山辺尓、射去薩雄者、雖大有、山尓文野尓文、沙小牡鹿鳴母(二一四七)
やまのへに、いゆくさつをは、おほかれど、やまにものにも、さをしかなくも
毛詩の字によりて鹿鳴とは書たれと此国にて
はかゝることをしかとよめるなり
此次に山辺には、薩雄のねらひ恐るれど、をしか鳴なる、妻の眼をほ
り、とよめるに対へてみれば、今もさつをはおそるれど心まよひに堪か
ねてなくとよめるなるべし、前に春の野にあさるきゝすの、といへるに似た
り、又さつをの多くてあまた得らるれど、鹿は尽せす野山に鳴と〔一七ウ〕
いへるがあはれのいよ〳〵深きは前の如くならんと覚ゆ○射去の
射は発語にて意なし、集中にかたるを、いかたるなどいふ類ひにて
行をいゆくといふ例多し○薩雄は猟する男の事なり、夫をさつをと
いふは幸男なり、神代紀に彦火々出見尊は山の幸ある御うまれにて、
弓矢を持給ひ、火のすそりの尊は、海の幸ある故に釣え給ひし幸がへ
して、試みんとかへ給へばともにくるしみに逢給ふことあり、夫より海山
につきてさちある事をいふ、多くは山のさちをのみ歌にはよみて
山のさつをとはいふ、其山の幸は弓矢して獣を射る事にて、集中にさつ矢
と云所に得物矢とも書たる思ふべし、さてはさちをさち矢といふべきを、通音
にて佐都乎佐都矢といふらん、集中に得物矢手ばさみ、といへる歌を伊勢
国風土記には佐都矢多婆佐美と書り【今本万葉に得物矢をとも/やとも訓しはあやまりなり】
《上欄》めをほりとは/常に相見ん/ことを欲する/にてかく云が/いにしへの例/なり眼乎欲/焉とかけり