江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第一九首) 同し巻 詠ル《二》水田タヲ《一》〔一八オ〕 左小牡鹿之、妻喚山之、岳辺在、早田者不苅、霜者雖零(二二二〇) さをしかの、つまよふやまの、をかへなる、わさたはからじ、しもはふるとも
これも陸の田ならぬしるしに、水田とは書たれどたゝたとよむべし 物あさる便ながら鹿の岡辺の山に妻こふる声のあはれさ、堪がてな ればはやくかり収むべき早わさ稲たなれど霜おくまでも、刈やらしとなり ○大かたの田面たのもに、わせ、おくて、つくることは山のほとりなる所には、 自おのつから山やまのしづくをたのめは早稲をつくるもの也、されば此岡辺はそこら 皆わさ田なり、多きか中のわさ田をいふと思ふべからず、此ことをしら では、むつかしかるべし○或問云、鹿の為に世になりはひをすてん物に は、此歌いかにいひけんやと、答こはいにしへのことをさとらぬ問也、理ことはりを もていはゞ、業をも廃すてべからず、司もゆるさぬを、さまでの事はふつに おもひかけぬ也、そも〳〵かゝる所に鹿の鳴をあはれときかざらんや、〔一八ウ〕 さるときは、かれは心もなく思ひたのむ小田を刈なんは、情なしてふ 意なり、思ひつる心を即すなはちいひたるのみ、終の理りを思ひかへすまでに いまだ暇いとまなし、古はかく其儘にいへる故に真まことなり、後の人はおもひかへ していふゆゑに、真てふものにあらず、巧みて作れるもの也、歌はたゞおさ なかれといひて、おさなき子の心のまゝにいふを、誰かにくしとするや、古 き歌は大旨しかり、さてこそ神もめで給ふべきなれ、中々なる理りた ちていふは、限あるわさなるをや 《上欄》終にはかくなる/なとやうに/きとおもふは/古意にあらす/ふとおもへる/ことを古へは/よむなるを