万葉新採百首解ビューアー

江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による
『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。

目次を開く 目次を閉じる

目次を開く 目次を閉じる

(第二首)
同し巻 詠霞【今ある万葉には巻により、題の書様詞の書様ことなる/おほし、人々の家集
をそのまゝ書たるゆゑなり】

昨日社、年者極之賀、春霞、春日山尓、速立尓来(一八四三)
きのふこそ、としはくれしが、はるがすみ、かすがのやまに、はやたちにけり


此巻にはかく何をよめるとしるせる多し、此題は後に一家に集る人の書〔四ウ〕
たるものなり、後世にならひて、まづ文字題を設てよめる物と思へるは
古に違へるなり、さて十一十二の巻は読人不《レ》知歌を一類にて集めたり、左
に某の家集に出とあるは、後に其家集を見てしるしたるものなり

古年の終はたゝきのふにこそあれ、またも春のいたりて春日山に霞の
立たりとなり、古今集にきのふこそさなへとりしか、とよめるは、此歌をうつ
して意は時の早くうつるを驚くなり、今は春のさまに成たるを悦ふ意
ならし○春日山をよめるは奈良の朝の人の歌ならん、右の香山をば
藤原の朝人などのよめるがごとし【いともよろしきか上にて、猶もいはんに前の歌の、こと/もなくてうるはしきにむかへては、昨日こそといふ/はかつて後/のさまなり】こそ
てふ辞は物のあるがなかより、これこそ彼こそと、ぬきでし
ていふ時に用ふるなり、又乞願ふことにもいふもあり、そは別にて句の終に〔五オ〕
舟こぎ出よといふべきを、こぎ出よこそとよめる類なり○春日山は
大和国添下郡にて、ぐはしけれは更にいはず、春日てふ名は仁徳天皇の
御時、富る人ありて酒糟を塩にせしよりいふてふ事、新撰姓氏録に
委し、然れば其後に春日といふは、武烈紀の歌に、はるびのかすが云々万
葉集に春の日のかすがの山などつゞけたるによるに、かすむひてふ意にて書
り、正字にはあらぬなり【紀に仁徳帝より先に春日と書たれど後世考へ書れし/なり、古代を解くものゝ常也、紀は奈良の朝にて書たればなり】

本文に戻る

先頭