江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第二三首) 冬 巻之十 詠《二》黄葉ヲ《一》 八田乃野之、浅茅色付、有乳山、峯之沫雪、寒零良之(二三三一) やたののゝ、あさぢいろづく、あらちやま、みねのあはゆき、さむくふるらし
万葉には、もみぢ葉を専、黄葉と書、又は赤葉とも書、紅葉と書 たるはなし、後のさまなるべし、さてもみちは紅てふ意にてもみづとも読 り、又略して黄葉ノ二字をもみぢとのみよめれど真まことは二字にてもみぢば とよむなり 《上欄》後人紅葉葉/と書てもみ/ちはとよめと/も葉ひとつあ/まれり 同し巻に、吾やどの、浅茅色付、ふなばりの、夏身のうへに、しぐれふり たり、とよめるに似て、大和にある矢や田た野のの浅茅もみぢせるを見て、〔二〇ウ〕 越こしのあらち山には、今こそ雪の降らんと思ひやりたる也○八田野は神名 式にも、和名抄にも、大和国添下郡矢田とある是成べし、応神紀に 矢田ノ皇女とあり、同し皇女を仁徳紀に、八田皇女と書たれば、矢八共 に嫌ひなし○有あら乳ち山やまは、越前国敦賀郡にて古いにしへ愛あら発ちの関せき有し 所なり、今もそこをあらちといひて、高くさかしき山路なりと国 人のいへり、或人此八田も同し越の国にあるやうにいへるはいかにぞや、 後にもかく都近きけしきをみて、遠をおもひはかる様の歌多き をや○此歌を人麻呂のよめると定たる人あり、此十の巻は皆読人 しらぬを類とせるを、みざるにや、されど所々に人丸家集に出と註 せるも侍れど、上下の歌を参考あはせるに、此歌は左ともみえず、家集にいで たりとも、そは人丸の自詠とも定めがたきこと前にいへるがごとし