江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第二六首) 石川郎女ノ奉ル《レ》和コタヘ歌 吾乎待跡、君之沾計武、足日木之、山之四附二、成益物乎(一〇八) あをまつと、きみがぬれけむあしひきの、やまのしづくに、ならましものを
此郎女の伝は見えず、郎女の訓は、景行紀云播磨ノ稚(ママ)日乃郎姫【郎姫此云/異イ良ラ莞ツ比ヒ〔二二ウ〕 咩コ(ママ)】是に同じ、母をいろは、兄弟をいろせ、いろと、ゝいふをもて思ふに、伊呂 伊良同音にて通へば、舎母、舎兄、舎弟、舎女、の義なり、今も舎兄、舎弟、 と云日本紀にもしかり、此事巻十四にある歌にも家いへ等らといふべきを、い はろにはと、よみたるなど思ふべし、さて古へたゞ、同母をまことの兄弟姉 妹とすれば、異母にては、いらつめなどいはぬにや、同居せるはさてもいふ にや、いまだよく考へず かくとしらば、其山のしづくとなりて、君につかましものをと也、集中に かくばかり恋つゝあらずは朝にけに、妹かふみなん、つちとならましを、な どいふたぐひやまとにもから歌にも多し、物の切なる時は、いとせめて をさなくおもふまゝにいふ也、かゝることは大よそ人のきゝては、いとも理ことは〔二三オ〕 りなきを、せんすべなき時は、あはれ何ならましをと、ふとおもはるゝ を、其まゝよむなり、いにしへは皆しかなりとしるべし、此二首は古の妙な るものなり、今其曲節は絶てしらねど、自吟も出つべきしらべなら ずや○右に和歌とあるは、報答のことにて、此集中皆しかり、但巻五帥 大伴卿の妻の身まかりし悲しみに、仏経の旨むね述たる文并詩あり、 それにつきて長歌などあり、其そこに日本やまとの挽歌ひきうた一首と書れたるは、上のからうた に対へる語なり、日本書紀の名も、其頃専もはら儒に泥なづみて異国の史に対へた るものなり、後ながら源氏物語には、其意を得たるにや、詩に対へぬ時は、只 に歌とのみ書ぬ、三代実録、古今和歌集などには、何に対へることなくて、やまと 歌と侍るは、やゝくだれる世のわざ也、其後歌をやまと歌といふことのやうになり、 又わかと音にさへ唱いへるなど、皇国人の礼も理もなきことならずや 《上欄》皇朝にあり/ては唯歌とこ/そいふへきを/基俊の説に/大和歌とは/やはらくてふ/意なといふは/例もなく理も/なしやまとゝ/いふは山外の/義なるを奈/良の朝にて大/和の二字を用/ひられし也/是も異国人/和国也といひ/たるを、和とかへ/しのみ也やはら/く心はあらすし/かるをやまとて/ふ語よりやは/らく意といふ/は甚しきひか/ことなり