江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第四四首) 同し巻 引ひき津つの亭うまやに船ふね泊はつる之の夜よ作歌 安麻等夫也、可里乎都可比尓、衣之可母、奈良能弥夜古〔三五ウ〕 尓、許登都礙夜良牟(三六七六) あまとふや、かりをつかひに、えてしかも、ならのみやこに、ことつけやらん
これは右の使人の歌也○引津は、筑前国に有、亭は駅うま亭やなり いと遠きさかひに来て、京へたよりのなきにわびて、そらゆく雁を、 使になすよしもかな、とまて思へるかせちなり○此新羅しらぎへの使人古 詠を唱へたれど、即古詠のよししるせり、此歌ともは、引津の亭に船ふな 泊はてして、七首よめるなり、初二首は、大判官のよめるとかき、末五首は、従 へる人々のなることを記せり、然るに拾遺集に、此歌を人まろの、も ろこしに読りとあるはいとひか事也、人麻呂の筑紫へ下りし事は見ゆれど、 新羅へしも行けんことなし、凡拾遺集に、万葉の歌をとれるは誤多し、人 麻呂ならば奈良の都まで有し人にもあらぬをや 《上欄》新羅なとへ/つかはさるゝ/使はもろこし/と同しく大/使副使判官/主典の四を/なへて船も/よつにて侍/るとみえたり