江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第五一首) 巻之九 天平五年癸酉、遣唐使舶フネ-《二》発難波ノ《一》入《レ》海之時親母ノ贈ル《レ》子ヲ歌 客人之、宿将宿(ママ)野尓、霜降者、吾子羽、天之群(一七九一) たひゞとの、やどりせんのに、しもふらば、わがこはくゝめ、あめのつるむら
一首并短歌 此長歌に秋はぎを妻とふ鹿こそ【はきは鹿の妻てふ事、/集中にかた〴〵みゆ】ひ とつ子、ふたつ子もたりといへど【集中に鹿は一つ子とむてふ事あまた有也、山人/に問ふに鹿は子ひとつうむといへばかくも読べし】鹿児かご 自じ物ものわが独子の【かごじものとは、鹿子といふ物てふ意也、/自ハ助辞のやうにて捨べからぬことなり】草枕、たひにしゆけは、竹たか珠たまを、 密しゝにぬきたれ【竹珠とは、神代紀に野槌に五い百ほ筒つゝ野の篤つゝ、八や十そ玉たま籖くしを採すとあり、此篤即小竹に/にてそれに玉をかけて持か、竹玉とはいふべし、此竹玉てふを推はかりの説ともあれ ど誤/なり】斎いはひ戸へに木ゆ綿ふ取とり四し手てて【集中に斎(斉ヵ)戸と斎ほり居へともよみたれば、斎(斉ヵ)瓶にて神酒の/瓶也、戸は借字のみ○四手ては、木綿をたれて也、垂の字をしてと 古は訓/せり】忌いは日ひ管つゝ【日はひのかな也、いはひとは山をさけて谷を用る也、云他の国にては/斎(斉ヵ)忌祖などの字をもて事をわくれど、こゝには上の誰によりて心得へし】わが思ふわか 子【いはひつゝ、わか思ふと/つゝけて心得へし】真ま好よく去ゆか奴しぬ欲か得も【真は正にてふが如し、好言てふ(ママ)也とかた〴〵にありて/無恙行をいふは今本によしゆくとよめるは誤れり、欲 得はかもとよみて、願のかもてふ物なり、今本に此語の字もいと誤れり、/ゆかぬも(ママ)とは今の人ゆけかしと思ふときゆかぬやといふに同し語なり】続日本紀巻十一に、〔四二オ〕 夏四月遣唐使の舶発ふねはて(ママ)の事みゆ、大使は多た治ち比ひ真人広成也、此時の歌巻 五以下かた〴〵に見えたり 《上欄》を今本に/と書は誤/也はすゝと/よみて山野/にある也 わか子のもろこしへしも行てこん道のほど、おぼつかなさにか、すめ神の御め ぐみあはれみ願ふなる意よりして、天とふ霍に言よするがあはれ也、やと りせん野に霜ふらばてふは、その一事を挙いふのみ、歌のの常也、或云此た び人とは共に行人々を指て、中に其子有とこれは此長歌にかけてみる に我子をのみ云る也○鳥は雛をはぐゝみ養ふ故に羽含はぐゝむといふ也、つるむらは、 むらがれる鶴なり、 《上欄》すへて古歌/には世の人を/ひろくいひて/中に自をこ/むる例多け/れは(ママ)此歌は/さとはみえす