江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
目次を開く 目次を閉じる
(第五二首) 巻之七 羇旅ノ歌 天霧相、日方吹羅之、水茎之、岡水門尓、波立渡(一二三一) あまぎらひ、ひかたふくらし、みつぐきの、おかのみなとに、なみたちわたる
数々の中の歌也、よみ人もしられず、此歌に旅の意は見えねと、行いたり〔四二ウ〕 たる地のけしきをいふは旅の常なり 夕へのそらくもりあひて、此岡の湊に浪のいと高く立わたるは、澳おきに日 かたの吹にやとおもひはかりたるが、又日かたてふ風のひとつあるか、此波の たつはさる日かた風ゆゑならん、といふにも侍るべし○天あま霧相きらひは、空のく もれるをいふ、きりあひの里り阿を反せば、良らとなる、日にあまぎらひと唱ふる 例なり○日かた吹てふこと、後世未申の風なり、辰巳の風なりなといひて、定 かならず、今考るに和名抄に、筑後国御原郡に日ひ方かたの郷さとあれば、其方より 吹風を隣の国にてもいふにやと思へど、地の様さましらねばおきぬ、越前国新にひ保ほて ふ所の貞好てふ人、四方の国々皆ありきて、殊に舟の上の事委しくしりつるが 東の此都に侍る頃あひて問侍し、それが曰く凡風の名は所につけて〔四三オ〕 異なるも同きも侍る、先越前にては戌亥の間の風をあひの風といふ、かの あゆの風これか、真北より吹を真風といふ、これはいたく吹とも波たゝず沖 つ舟やるによし、日方とは申酉の方の夕日の空より吹を、船人の語に日方のよひ よはりといひて、晩に其方より吹はつよき物ながら、暮過るほどに必よはる なり、筑前の海は西辺に有て此夕日方の烈敷はげしきゆゑにしかよみ侍る成べ し、且申酉の風をば越前其外にても日かたといふ、蝦夷か嶋にてもしかり といひぬ○水茎みつぐきの岡の水門、神武紀、仲哀紀にもみゆ、筑前風土記にも委 し、和名抄に筑前国下座郡三城【美城/木】また集中に水ぐきの水みつ城きのうへに、 とよまれしもこゝ也、さて仲哀紀に、皇后自《二》洞海【洞此云/久岐】入也とありて、洞を くきと読せたり、風土記の岫門を対へ見るに、其崗の岫の辺に入江の有によ りて水洞といふ、とみゆれば水茎と云は借字ならん、此地の状さまをよく意得ず ば、右の歌明らめがたからん【古今集に水茎の岡のやかたと/よめるもこゝなるべし】〔四三ウ〕