江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第五三首) 巻之三 石川女郎ノ歌 然之海人者、軍布刈塩焼、無暇、髪梳乃小櫛、取毛不見久尓(二七八) しかのあまは、めかりしほやき、いとまなみ、くしげのをくし、とりもみなくに
今の本に石川少郎とありて、歌の左に右歌石川朝臣若子号テ曰《二》少郎《一》 也、こは後俗の書たる也、いかにとなれば続日本紀を考るに、石川朝臣君子 と、石川朝臣若子とは別人とみゆるを、共に従五位上に侍るは、史をよくも よまて若子は君子の別号とおもへる人、こゝに少郎とあるを、わかことよ みて、かく誤たる註をなせしなるべし、さて右二人は男也こゝは女の歌と みゆ然れは今本に少郎と有は女郎の誤成べし、此女郎は集中にか た〳〵出たれどいかなる系かしりがたし 《上欄》此歌を所を/かへていせ物/語に入たるは/此物語の常/なりかれを/見てこれを/誤へからす 此女郎夫の、任に従て、筑紫に在ほどの歌なるべし、此あたり皆旅の歌 なれば也、さてかたちつくりもせてあるを、いかにぞなど人のいへらん時〔四四オ〕 に、しかの海人にたとへて戯によめるにや、又只此所の海人がさまをよ めるのみにも侍らん、いづれにも歌のさま、をかしく且女のさま見えつ ○然浦は神后紀に、遣磯鹿何人名草而令倶てふは、筑前にての事也、和名 抄にも同し国、糟屋郡志賀、風土記には、資し珂かの島とあり共に同地なり、 ○くしげの小くしは、匣くしけの小櫛なるを、語のより来るまゝに、髪梳と書た るなり、さるをつげのをくしと読たるは誤なり○見なくにの、にはいひ 入て歎く辞なり、古歌にかくいへる辞ならぬにもあるなり 《上欄》近江の志賀/は下を濁る也/然は濁らす/和名抄に書/る俗に従へる也