万葉新採百首解ビューアー

江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による
『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。

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(第六三首)
巻之一 慶雲三年、丙午幸《二》于難波宮《一》時志貴皇子御歌 葦辺行、鴨之羽我比尓、霜零而、寒暮夕、和之所思(六四)
あしべゆく、かものはかひに、しもふりて、さむきゆふへは、やまとしおもほゆ



文武紀に、今年九月丙寅、此御幸有て、十月壬午還幸と見えたり、この御
歌は、其十月難波に御在間によみ給へる成べし

冬になりて、難波のあしへ行かふ鴨の、羽かひまでも、夕霜の置たるけ
しき、誠にしみぬべし、さればいとゞしく鄙こひしくおぼすとなり、
巻の九【かも/の歌】さひ玉のおさきの池にかもそはねよるおのか身にふり
おける霜を、打払ふべし、巻十五【長/歌】鴨すらも、つまとたくひて、我身には、
霜なふりそと、白妙の、はねさしかへて、打はらひき、とふ物を云々これを
思ひ合するに、さむきによりて、故郷の御きさきと共に寐給ひしことを、恋
しくおほすなるべし、すべて見るものを其まゝによみて、さてそれにつ〔五一オ〕
けて、思ふこゝろをのべ給ふ故に、いもねるもさむけきさこそおぼしけん
と覚ゆるなり○此末を暫もとの訓のまゝにゆふべとは訓たれど、さらは
暮者とか夕波とも書へきを、暮夕とあるは意ゆかずおもふに、暮々の誤
ならん、さてよひ〳〵とよむへきや○和の宇をやまとのことに用ひらるゝは
奈良の朝に始れり、此御歌はいまだ藤原の朝なれば、こゝには倭の字なりし
を、後人の書たがへたる成べし、又此夕と和との二字は、こと字の誤れる知るべからず

《上欄》後の集に/此末を寒き/夕のことをし/そ思ふとて/入しはいかに/そやこれは/行幸の供奉/にてよみた/まひし也右/のことくにて/は後に思ひ/出てよみた/まへる也

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