江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第六六首) 同し巻 田口ノ益マス人ヒト大夫任スルノ《二》上野国司ニ《一》時至リテ《二》駿河国浄見埼ニ《一》作ル歌【二首の/中】 昼見騰、不飽田児浦、大王之、命恐、夜見鶴鴨(二九七) ひるみれど、あかぬたごのうら、おほきみの、みことかしこみ、よるみつるかも
此人は文武紀、元正紀にも見えたり、こは元明紀、和銅元年三月従五 位上田口益人、為ス《二》上野守ト《一》とあり この上に同し人の、庵原いほはらの清見か埼の、みほの浦の、ゆたに見えつゝ、 物思ひもなし、とよみしにつらねたれば、清見瀉は夕つかたに見つゝ 過て、田児の浦廻をば、夜に入て過る故に、やんごとなき定ある道な らずは、こゝにとまりて、ひるこそ見ましをといへる、心成べし ○庵原は、和名抄に庵原郡【伊保/波良】と有て、右の歌どもにいほ原の、清〔五三オ〕 見崎の、みほの浦、といひ田児の浦とつゞけよめるをみるに今に違はす その息津【和名抄にも註に/於木津とあり】てふ宿の東、今はさつた坂てふ山もとにそひ て、古の道ありて、其道のほとりを田児の浦といふなり、続日本紀に天 平勝宝二年、三月庵原ノ郡、多胡ノ浦獲テ《二》黄金ヲ《一》献《レ》之ヲともあり