江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第七四首) 同じ巻 冬十一月、太宰府ノ官人等、奉《レ》拝《二》香椎廟ヲ《一》訖退帰之ノ時《一》(ママ)駐テ《二》馬ヲ 去来児等、香椎乃滷尓、白妙乃、袖在倍所沾而、朝菜釆手六(九五七) いさことも、かしひのかたに、しろたへの、そでさへぬれて、あさなつみてん
香椎浦ニ《一》各々述テ《レ》懐ヲ作ル歌、帥大伴卿一首 香椎廟は、神功皇后始テ 熊襲をうち給ふ時にも見え、新羅しらきを討給ふ時にも見ゆ、よりて後に 皇后ヲ斉ひ奉れるならん○和名抄に筑前国、糟屋郡香椎【加須/比】と あれど、紀に橿日集に香椎と書しかば、和名抄なるは後俗の唱成べし 巻七にも、他にも似たる意の歌もあれど、今はしらべのよろしさに、折から の興も思ひやられてことなり○去来児等は、巻二十に伊射子等毛多いさこともた 婆和射奈世曽はわさなせそと仮字書しあれば、いさやこらとよむはわろし、子共と云 は只人たちといふに同じ○在倍さへは集中副添兼などの字を用ひて、即 そへる事なり、こは袖さへぬらすともてふ意にていへり○朝菜は朝け に此かたに出たる故朝菜といふ、夕べならば夕なともいふへし、且海に菜 といふは皆なのりその類なり