江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第七五首) 巻之十九 四月十二日遊-《二》覧布フ勢セノ水海《一》船ヲ泊《二》於多枯湾《一》望ミ《二》見テ藤花《一》各述《レ》 多枯乃浦能、底左倍尓保布、藤奈美乎、加射之将去、不見人 之為(四二〇〇) たこのうらの、そこさへにほふ、ふぢなみを、かざしてゆかん、みぬひとのため
懐作ル歌【四首の中こは越中官次官/内蔵忌寸縄麿かよめり】此上の詞によるに、天平勝宝二年四月 十二日の事也、多枯浦は、越中国布勢の湖の内に有べし 咲かゝるさまは、更にもいはず、浦波の底かけて映ひつゝ、えならぬ此 藤の花をまだみぬ人に折かざし見せんかと也、所につけたるけしきの えならぬを、家づとにするは人の情也、且同じ度に守家持の歌に、藤なみ の、影なる海の、底清み、しづく石をも、珠とそわかみる、底さへにほふ〔五九オ〕 に意同じ○藤なみは、集中にも藤波、藤并、など書れは浪のごとく とも并ふ意ともいへば、浪のよしなくて岡なとにもよみ、又ならふ意と もいひがたきやうにて、疑ひつるをよく思へば、集中に草くさ葉は押おし靡なみ、茂しけ樹き押おし 靡なみ、四し能の乎を押おし靡なみなどよめる靡は、なびくを略せる語なるによりて、藤靡 てふ意なりけり【毘の濁と美の清/音と通ふ例なり】 《上欄》後世卅六人家/集てふもの天/暦なとのころ/より下の人の/はさも有へし/延喜以上のは/後の人の書/集め又はさ/らぬ歌をも/加へたるなり/いはんや人丸/赤人家持の/集なと今有/は皆偽もの/なるを万葉/歌と此歌今/の人丸集に/有とて疑ふ/に云にもたら/す此人々は/万葉にてこ/そみるへけれ