江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第七六首) 巻之三 山部ノ宿祢赤人望テ《二》不尽山ヲ《一》歌【長歌の反歌也】 田児之浦従、打出而見者、真白衣、不尽能高嶺尓、雪波零家留(三一八) たこのうらゆ、うちいでゝみれば、ましろにぞ、ふしのたかねに、ゆきはふりける
赤人の歌、下総の真間まゝ、常陸の筑つく波ばなどにてもよめるあれば、さる国の 任にて下る時に、はじめてふじをみてよめるなるべし、此人は紀などにみえ ぬは、官位いとひきくして、此度掾目などにてやくだりけん たこのうらの、山かげの道より打出てあふぎみれば、真白に雪のつ〔五九ウ〕 もりたる、ふじの高嶺の大ぞらに秀たるを、みるまゝによめるは自ら 妙なるなり○田児たこの浦は上の、田口益人の歌に委くいひつ、其山かげ の道を行はなれ、ゆぐりなく見出たるゆゑ、田児のうらゆ打出てとは よめり○従を、ゆとよみて即よりてふ意なる事、古語の例なり、 今本に、にとよめるはわろし○真白衣はましろにぞ、とよみて俗に まつしろにそといふに同じ、然るを白たへとよみ、末をふりつゝ、とかへて 朗詠新古今などに有、白たへは妙の字を借て書しを、字につきて 白く妙なる事と誤てより、かくみだりになりけん、集中に白たへの 藤江、藤原などよめるは、藤布の意にてつゞけたるばかり藤の仮字 は布治なればしかり、不尽は尽の仮名なれば、藤布のこゝろにもかな はぬ故に、古はかく云ることなし、且終に家留ととめたるも、ましろ にてとよめる故なり、また終をふりつゝと直したるにつきて、もと〔六〇オ〕 あるが上に雪のふりたる意といへるは、幾日もこゝに有て見つゝよめる ことゝ思へるにや、これは任に下る時の道にて、此山を見てよめるさまなり、 しからざれは打出とよめる、歌の意の妙なることもなくなりぬべし、古は たゞ有のまゝにいひつらねたるに、えもいはぬ歌となれる、まことをいかで意 得ざりけん、後世にても頼政卿の淡海路のまのゝ浜辺に駒とめて、ひらの 高根の雪をみるかな、とよめるは少し古の意侍る、同巻にも相坂を打いでゝ みれば、淡海の海、白ゆふ花に波たちわたる、とあり