江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第七八首) 巻之五 歌の序に 大伴ノ佐サ堤テ比ヒ古コノ郎イラ子ツコ特ヒトリ被《二》朝命ヲ《一》奉テ《二》使ヲ藩国ニ《一》〔六一オ〕 得保都比等、麻通良佐用比米、都麻胡非示、比例布利之用 利、於返流夜麻能奈(八七一) とほつひと、まつらさよひめ、つまごひに、ひれふりしより、おへるやまのな
艤押タヽシテ言テ《レ》帰ヲ稍ヤ赴《二》蒼波《一》妾也松浦佐サ用ヨ媛ヒメ望《二》離去之船ヲ《一》帳然断《レ》 肝黯然シテ銷ス《レ》魂ヲ脱テ《二》領巾ヒレヲ《一》靡《レ》之傍ノ者ノ莫《レ》不《レ》流《レ》涕因号テ《二》此山ヲ《一》曰フ《二》領巾ヒレ 靡フル之山ト(ママ)乃チ作テ《レ》歌ヲ曰とて此歌あり筑前国ノ守憶良ノ大夫の歌也、序も 同じ此事宣化記に委し ことはりかくれたる事なし、たゞよく詞のとゝのへる也○遠つ人てふ詞は、 待といひかけたるのみ、此歌の上に、同じ人遠つ人まつらの川にわかゆつ る、妹が袂を我こそまかめ、ともよみたり、思ふ人の遠く行たるは、帰らん日 をは必またるればいふ也○此例は天武紀に、膳夫ノ采女等之維《二》肩巾ニ《一》【肩巾/此云 比礼/云々】遊仙窟註に単ハ白領巾ハ子也、狭曰《二》子也春ハ着ス《二》領巾ヲ《一》秋ハ着ス《二》子ヲ《一》〔六一ウ〕 皆婦人ノ頭ノ飾也、といへりこれを脱てふるは、遠く見えんため也○於返流おへる は負る也、ひれふりしより、山の名に負たると也○肥前風土記に、松浦 懸之東卅里有《二》ヒレ揺フリノノ岑《一》【揺此云/比礼府離】最頂ニ有《レ》沼計リ可《二》三町(半イ)