万葉新採百首解ビューアー

江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による
『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。

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古京ふるきみやこ
(第八〇首)
巻之一 高市古人感-《二》傷近江旧堵フルキミヤコ《一》作歌【一本に高市連/黒人とあり】 楽波乃、国津美神乃、浦佐備而、荒有京、見者悲毛(三三)
さゝなみの、くにつみかみの、うらさびて、あれたるみやこ、みればかなしも



こは一本に黒人と有をよしとす、何ぞなれば、高市古人てふ他にも見〔六二ウ〕
えず、黒人は巻之上にもかた〴〵に出て歌も上手にて、此歌のさまもよ
く似たり、かの古人これほどの歌よみならば外にも出ぬべきが、されど
そはともあれ、此時二首よめる中の一首に、いにしへのひとあれさゝなみ
ふるきみやこみれかなしてふ歌の一二の句を今本には、ふるひとに、われある
らめやとよみたるは、いかにぞや理り穏かならず侍、黒人と端に書
るを古人と見て、歌の古人とあひてらして、古に改書しなるべし、後人
古人の草書の手をも、古人の歌をも意得ぬ人のさかしらども、此集に多
きなり○堵は字書に垣也、五版《レ》といひ、其一版は二尺也といへば、堵は
丈に築たる垣也、大宮の事にさもいふべし、しかれども集中に、旧京、旧都、
、旧堵、などさま〴〵書たるは、皆家集などに心にまかせて書
たるを、其儘に書載たれば、かくさま〴〵なる也、いかに書たるをもふるき
みやことも、ふるさとゝも訓べし○さて紀をみるに、天智天皇六年三〔六三オ〕
飛鳥あすか岡本宮より、此近江大津宮へ遷り給ひ、十年十(二ィ)二月崩給へ
り、其明年に乱ありて、遂に飛鳥浄御原に都し給へば、此大津の
宮はあれつ

こはさゝなみてふ所の、神の御心のあらひすさみたるによりて、かくあ
れはてたる都となれば、今みるもよに悲まるゝとよめる也、凡古より都
を遷されて、もとの都は浅茅か原となれるは多かれど、治れる御世の
ことゆゑに、さのみも侍らぬを、此大津の宮は軍によりて、人も多く亡
ひて、遂にあれゆきぬれば、みる人ごとにかなしめる歌多かりき、さて
其世のみだれにてあれたるを、即此さゞ波の国をたもち給ふ、神の心
すさみのなせることくよみなしたり○さゞなみの国は上にいへるに〔六三ウ〕
同じ志賀の都を云り、古は都をも、邑をも国ともいひつ○国つみ
かみは、凡の地祇をいふはもとよりながら、こゝにはさゝなみの国にます御
神をさせり、巻十七【家持越中の任にまかれる比、/坂上の郎女の贈れる歌】美知乃奈加久尓都美みちのなかくにつみ
加未波多妣由伎母之思良奴伎美乎米具美多麻波奈かみはたひゆきもししらぬきみをめぐみたまはなと越中の
国つ御神をよめるごとくにて、其所の何れの神とさすにはあらず
○浦佐備而云云浦は借字にて、裏進而也【裏とは、心といはんがことし浦の/宇に対ひて浦浜のことゝ心
得るは/非なり】其謂は、古事記に【天照大御神と誓こと/し給ふ時に素盞尊の】ワレカチヌトイヒカチ佐備サビ【佐備二/字以音】ハナチ
天照大御神之云云この勝佐備は、勝たる時の気の進にものをあらされ
しをいふ、これをむかへて心すゝみに、此所をあらされしといへるをしるべ
きなり、凡さびてふ語多けれど、進む事より出てさま〴〵に別れたり、
手すさび、翁さび、老さび、などは心に思ひ進むかたよりいひて、慰と
いふに似たり、雨すさび風すさびなどは気の進みて荒るかた也、〔六四オ〕
其語は一なれど、用ふるものにつきて、よき事にも、あしきことにもなれる
なりけり、又神さび、男さび、所さびなどいふ時は、神ふり、男ふり、の意
となるも、はた其心みより転れるもの也、さてこゝは荒ふる国つ神の、
かくあらされたるといひなして、其本を進雄すさのを尊の物あらされしなと
になぞへたるなり

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