江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第八五首) 巻之十七 讃テ《二》三ミ香カノ原ハラノ新アタラ京シキ《一》歌ミヤコ【長歌の反歌なり】 楯並而、伊豆美乃河乃、水緒多要、受、都可倍万都良牟、大宮所(三九〇八)〔六六オ〕 たてなへて、いつみのかはの、みをたえず、つかへまつらん、おほみやところ
山城国相楽郡久迩郷に、三香原、泉河、鹿カ背セ山などあれば、久迩の都と も、三香原新京ともいへり、天平の頃奈良の都を暫こゝにうつされしこと、 既にいひしが如し○歌の左に、右天平十三年二月、右馬頭、境部宿祢老 麻呂作也としるせり いつみ河は此新京の辺りにあるゆゑに、絶ずつかへ奉らんことのたとへ にとれり、歌はめつらしけなきに似たれど、しらべよくとゝのほれり、且古 の譬などはかくこそあれ、巻の六に同じ京を山高く河の湍清し、百世 まで神のみゆかん大宮所ともよめり○楯たて並なへ而てとは、軍には楯を并たるあ はひより、こなたもいるを以て、射てふ語に冠らしめたりとみゆ、且古事 記神武の条に多た々那米弖伊那佐能夜麻能なめていなさのやまのとあるによりて、たゞ なめてと訓也○水緒の緒は借字にて水脈の事なり、河海にても深 くして舟の通ふ所を俗にみよといふに同じ、此歌にはたゞ川水にても足(ママ)と みをはことに水の、たゆる時なき意にていへることも侍らん