江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第八六首) 巻之六 讃《二》久迩ノ新京ヲ《一》歌【長歌の反歌五首の中】 嬬等之、績麻繋云、鹿背之山、時之往者、京師跡成宿(一〇五六) をとめらが、うみをかくてふ、かせのやま、ときのゆければ、みやことなりぬ
上と同じ京也○歌の左に、右二十一首田辺福麻呂歌集中ニ有《レ》之と、或抄〔六六ウ〕 にこれを此人の歌とせるは、いかにぞや古人の家集の事既にいふが如し 何となきかせの山なりしを、時の往いたれば、京とこそ成たれ、巻十 九に、皇は神にしませば、赤駒の、服はふ田ゐを京都となしつ、心ながら今 は一二の句に序にて、うみたる麻をかくるかせといひかけたるのみ、古かく の類のつゞけ多し○鹿背かせ山は、続日本紀に、山城国相楽郡かせ山と書れし は、即今のいひかけの意なり、はよし有山か、集中に鹿背と書るは借字 か○は四時祭式に、加世比かせひまた古語拾遺に、以《レ》々《レ》之と云る如く、績麻を かくるもの也、和名抄の横首杖の所に、を加世都恵かせつゑとよめるも、杖の横 首あるはに似たればなり