江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第八九首) 巻之三 天平十一年、己卯夏六月、大伴宿祢家持悲《二》傷忘《レ》妻《一》作歌 虚蝉之、代者無常跡、知物乎、秋風寒、思努妣都流加母(四六五) うつせみの、よはつねなしと、しるものを、あきかぜさむし、しぬびつるかも
と云るより下あまたよめる中に移《レ》朔而後悲-《二》嘆テ秋風ヲ《一》作歌 現に在人の、常もなくはかなきことわりは、おもひしりて、今はなげかじ〔六九オ〕 とすれど、秋風の肌寒く吹たつに、堪ずして過にしつまの、忍ばるゝ となり、此上に六月に妻の身まかりし時に、今よりは秋風寒く吹なんを、 いかでかひとり長夜をねむと、よまれしをかけてみるべし、源氏桐壺の 巻に、野わきたちて肌寒き夕は、つねよりもおほし出ること多くて、と 書るも此意也○うつせみは、虚蝉、空蝉、など書る歌多かれど、皆借字に て、顕うつし身みてふ意なり、故に万葉にはうつそみ、うつしみ、など仮字がき にせり、今相向ふ女をさして、うつせみの妹といひ、また世に在しほとの ことを、うつしみと思ひし時に、などもよみ、古事記、日本紀、など顕うつし御み身み なといへること多し、其外顕身なる証は、挙るにいとまあらず、尚冠辞 に書つ、又うつゝに有人のこと常なくはかなきにいひつゝけたるを、空蝉の字に泥み てや、既に古今の頃にははかなき譬とのみして、うつせみは、からをみつゝも 慰めつなど、もぬけの意によめる多し、其上夏はうつせみ鳴くらしと、〔六九ウ〕 かれが名のごとくも思ひなしたり 《上欄》肌さむきを/はたさむき/とこゝろ得た/るはわろし/集中に膚/寒志毛とも/よみたる類/にてこゝも必/肌さむなら/ては不叶