江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
目次を開く 目次を閉じる
(第九首) 同し巻 大伴宿祢家持春雉歌〔一〇ウ〕 春野尓、安佐留雉乃、妻恋尓、我当乎、人尓令知管(一四四六) はるのゝに、あさるきゝすの、つまこひに、おのかあたりを、ひとにしれつゝ
春を今本に養とせり、されども古本又目録にも春の字にて、歌の意 も先は野の雉の事なれば春に従ふ○家持卿の父は大納言旅たび人と 卿なり、其先神代紀神武紀にも見ゆる如く、天が下たぐひなき功 臣にて、世々皇朝の衛まもりも世に異ことなりしを、いかで後には政を執にいたら ざりけん、此主は聖武天皇天平十二年に内舎人うとねりより立て、桓武天皇 延暦二年に中納言、同三年兼持節征東将軍と聞え、四年八月薨ず、 委は続日本紀に見ゆ、さて歌をいと好れて多くよみ、且万葉集は今 にては此家集の如く見ゆ、其よし前後にことにつきていへり 野なる草木のくま〳〵にかくれて、人におはるゝ雉ながら、つまこひには あへず声たてゝ住あたりを人にしらせつゝ、身を亡すをあはれ〔一一オ〕 むなり、ひとのうへにもとるべき事なり、巻十に、山辺には、さつをのね らひ、恐るれと、をしか鳴なり、つまの目をほり、と詠るが如し○あさ るは集中に求《レ》食と書たるにて、大意はしられたり、語の意は荷田 の東麻呂の説に足あし探さぐるを略せりか、海人あまの蛤ふみ、庭つ鳥の芥あくたなどかき わけて、物思ふほる皆足してさぐる也、と此考あたれり、是をさきに は海人のいさりに対へる語として他説をなしたり○己おの我か当あたり乎をこれ は後にはおのがありかをとよめり、ありかは在所の事なれば理ことはり違たがはねど も、こゝは義訓すべきにあらず、おのがあたりとよむべき也、君があたり、花 のあたり、などいと多き詞なるを、いかでこと様さまに読けん