江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
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(第九二首) 巻之二 有間ノ皇子ノ自ミツカラ傷カナシミテ結ヒ玉フ《二》松枝ヲ《一》歌【二首の中】 家有者、笥尓盛飯乎、草枕、旅尓之有者、椎之葉尓盛(一四二) いへにあれば、けにもるいひを、くさまくら、たひにしあれば、しひのはにもる
こは孝徳天皇の皇子也、斉明天皇の御時、謀叛の事顕はるゝ、其時天 皇紀伊の温湯の宮にましければ、めして同し国の藤しろの塚にて、 皇子をうしなはせらる、其度同し国の磐代てふ所にて、皇子みつ から松枝を結ひて、磐いは白しろ乃の浜はま松まつ之か枝え乎を引ひき結むすひ真ま幸さきく有あら者は亦また還かへり見み 武、とよみたまへるにつらねて有歌なり〔七一オ〕 理明らかにて、いかにも旅のわびしさ実にかくおはしけん事を、今も思 ひはからる○笥はいろ〳〵あるがこゝば飯笥也、延喜鎮魂祭式に、飯 笥一合云云、其左に右其日御巫於《二》官ノ斉院ニ《一》舂《二》稲簸《一》以《二》麁筥《一》炊以《二》韓竈《一》 訖即盛リ《二》藺笥ニ《一》納テ《レ》櫃居ユ《レ》案これ上代のさま也、又武烈紀に【鮪臣戮せらるゝ/所へ、影姫した ひ行時/のうた】施麻該播伊比佐倍母理麻暮比瀰逗佐倍母理儺たまけにはいひさへもりたまもひにみつさへもりな 岐曽褒遅喩倶きそほちゆく云云このもひは碗の類にて、水も盛たり、伊比もれる たまけはこれも竹か藺などして作れる合せものに盛つらんを、玉篭と いふがことく、丸形なる故に玉けとはいひし成べし、これらをもて古の飯笥 おもはるべし○椎の葉は、今も山辺などに行ては、かりそめに檜の葉 など折て強飯をもることあれば、そこなる椎の葉を折て盛て奉〔七一ウ〕 れるをよみ給ふ成べし、古専ら飯といへるは強飯のことなり