江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。
目次を開く 目次を閉じる
(第九七首) 巻之六 冬十二月十二日夜、歌舞所々諸王臣等、集《二》葛井連広成家《一》〔七四ウ〕 我屋戸之、梅咲有跡、告遣者、来云似有、散去十方吉(一〇一一) わかやどの、うめさきたりと、つげやらば、こんてふににたり、ちりぬともよし
宴歌【二首の中】其詞に曰く、比コノ来コロ古舞盛ニ興レリ古歳漸ク晩、理宜《下》其尽《二》古 情《一》、同唱《中》此歌《上》、故擬《二》此趣《一》輙献《二》古曲ヲ【典曲の/誤なり】二節ヲ《一》風流意気之士、儻在《二》此 集之中《一》争テ発《レ》念心々ニ和ヘヨ《二》古体ヲ《一》右はあるし広成此歌を宴のむしろに 出せるにそへたる詞也○広成は百済王仁か末にて博士也、聖武紀に、天 平廿年、八月己未、車駕幸《二》散位従五位下葛井広成之ノ宅ニ《一》延テ《二》群臣ヲ《一》 宴飲ス日暮テ留宿、明日授ク《二》広成及其室ニ従五位下、県犬養宿祢八重、 並従五位上ヲ《一》云云勝宝元年、八月中務少輔と見えたり わかやとに、梅さきたりと、さるへき人の許に告やる時は、必見にこんと いふに似たり、然らば散ぬとも悔なしといふ也、古今に月夜よし、夜よしと 人につけやらばこてふに似たり、またすしもあらず○告遣者を、既に〔七五オ〕 告やれる意とせば、つげやればとよむべし、されど既につけ早の上に てもうはさにいふ時は、つけやらん時はといふべし、故にもとの訓のまゝに つげやらはとよめりさて此歌広成が今日新によめる歌ならば、此集ひ し中にまた来ぬ人をまつこゝろか、次にはるされば、をゝりにをゝり、鶯の なくわか嶋そ、やますかよはせ、とよめるはこん春の遊びを、ちぎれるなり、 ○来云似有こんてふににたりは来んといふに似たるなる、乎々の登伊の反し知なれは知 ふといへる、集中に仮字にて知布と書たるを以てしるべし、今も 上総の国人などは来ん知布、ゆくちふ、などいふは古の語の残りたるなり、 然るを古今の頃には、布といへり、これは其知とを二廻通はし て唱ふるにて、後の事なるを、今本の万葉に布と訓るは誤也