万葉新採百首解ビューアー

江戸時代中期の国学者・賀茂真淵による
『万葉新採百首解』(京坂二書肆版)の翻刻テキスト。

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(第九八首)
巻之三 オホアミノキミ人主ウタヘル 須麻乃海人之、塩焼衣乃、藤服、間遠之有者、未著穢(四一三)
すまのあまのしほやききぬの、ふぢころも、まどほにしあれば、いまだきなれず


こは吟歌と書たれば、或人の家の宴に、人主てふ人の来り会て、古〔七五ウ〕
歌をうたひし成べし、宴にはさる事多き也、さて光仁紀の宝亀九
年に、正六位大網公広道てふ人見えたるは、此人主の親族にや

藤の麁布は、織目のあらきまどをなるといひて、此人の在所のことゝ間遠
きにたとへたり、さりけれど常にもえまゐり来なれねば、かゝる宴にあふ
がまれなるをうらむる也、されどさまではいひ尽さで、只間遠なれば未
来なれずとのみよめり、かくてこそ時にとりて、感は侍れ此さかひを
思ふべきなり【古今集恋歌に、すまのあまのしほやき衣をさをあらみ、まどほ/にあれや、君が来まさぬ、所かへてのせられたるをさもあらみと有は
くはしき様なれど塩焼衣の藤/衣となどつゝけしにはおとれり】○藤衣は山田もる男の藤衣ともよみたり、山賤
は藤かつらをさきけつりて、常の服とせり、古今集に喪の時、藤衣といへるは、
実は麻衣なれど、いと麁布なるを強ていはんとて、藤衣といふのみ喪にはいと〔七六オ〕
古へたに麻衣を着たるなり

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